「人間、真面目に生きるなんて、つまらない」と、吉田拓郎が、コンサートのステージ上で叫んだら、集まった観衆は、「そうだ」と叫び返すだろうし、同じく吉田拓郎が、「人間、真面目に生きなければだめだ」と叫んでも、観衆は、「そうだ」と叫び返すだろう。拓郎が、観衆に向かって叫ぶこと自体に意味がある。
うろ覚えの引用で申し訳ないけれど、前段落は全て、引用です。たしか、ある作詞家が、吉田拓郎について述べた文章の一節だと思う。エンターテインメントの世界におけるカリズマとは、そういう人物のことだろう。エンターテインメントのいい訳語が見つからなかった。
英語の動詞[entertain]は、分解すれば、[接頭辞のinter + tain]。意味としては、[among + to hold]、演者と観衆が一体になりながら(interactively)、包み込む(to hold)ように観衆をもてなす。
もちろん、政治の世界で、誰かが、どう叫んでも、観衆が「そうだ」と叫び返すのは、全体主義的で望ましくない。が、多くの人から尊敬されるような政治的指導者が不在であれば、行政府は、決断すべきことを、決断すべき時期に決断できず、後手に回るばかりで、先送りを連発することになる。
「踏襲」は熟語であり、話し言葉か書き言葉かと問われれば、書き言葉である。どちらかと言えば、多くの人に話しかけて、しゃべって説得をすることが商売である国会議員が、書き言葉の読みを間違えたからといって、どれほどの問題があるのだろう。月並みな表現だけれど、国会議員が読むべきは、状況であり、状況を読んで、何が、今、対応すべき問題で、どう決断をすべきかが分かれば、漢検一級である必要はない。
一国民として、心ある先生方を応援しております。暑さ厳しい折ですが、会期中ゆえ、更にがんばっていだだきたいと、思っております。
神奈川県にて
佐藤 政則