敗戦後、間もない時期に、長く、内閣総理大臣を務められた吉田茂氏は、外務大臣も、長く、兼務されていた。当時、日本は、連合国によって占領されていて、国家主権を回復することは、復興を進めることと共に、内閣総理大臣が成し遂げなければならない重要な仕事のうちの一つだった。だから、内閣総理大臣が、外務大臣を兼務されていたのだと思う。
そして、敗戦後、復興省や復興庁などなかった。あえて言うなら、全ての省は復興省でもあり、全ての庁は復興庁でもあった。内閣総理大臣は、復興担当大臣でもあった。あまりに当然過ぎることだから、復興省だ、復興庁だ、復興担当大臣だと、わざわざ、言わなかっただけである。
当時の内閣総理大臣は、自身のすべき仕事を心得ていたから、外務大臣を兼務した。そして、わざわざ、復興庁などを設置して復興担当大臣を任命することなど、しなかった。内閣総理大臣であるご本人こそが、復興担当大臣でもあることを、心得ていたからだ。
復興は、政府が一丸となって、国民とともに進めていく重要な仕事である。私は、くたびれかけた四十男に過ぎないが、もし、動員がかかって呼び出しがあれば、どこへでも行く所存である。政府が一丸となり、国民が心を一つにして復興を進めようという時に、学級会で様々な係の人を決めるのと同じ要領で、「復興係は誰それ君がいいと思います」って、どういう精神をしていたら、言えるのだろうか。
こうして、庁が、また一つ増えた。したり顔でほくそ笑んでいる、一部の高級官僚の姿が、目に浮かびそうである。
神奈川県にて
佐藤 政則