いざ鎌倉という時、本当に馳せ参じてくれる人なのか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 「三人寄れば、派閥ができる」と言われるほど、おひとりおひとり、異なる意見を持っている。そして、比較的同じような意見を持つ者同士が集まる。社会には、様々な問題がある。その一つ一つの問題に対し、自身の意見と、ことごとく同じ意見を持つ他人などいない。人は、それほど単純な生き物ではない。

 意見が異なるのは、当然のことだと、私は思っている。もし同じであれば、わざわざ、言葉で表現する必要はないので、人類が、こんなに、言語を発達させる必要はなかった。心の中で密かに、「できれば、髪を染めたり、爪を塗ったりして欲しくないし、嬉々として、なんやらトンとかいうかばんを、持ち歩いて欲しくないな」と思っているが、私の、数少ない女性の友達は、たいてい、そんな感じである。

 言っていることと、やっていることが違うではないかと言われそうだ。髪がどうの、爪がどうのという部分での"減点"を補って余りある何か、たとえば、繊細な心を持っているからこそ、友人になったように思う。意見が同じであることに、越したことはないが、違うからといって、直ちに、友人になれないという訳ではない。

 平時において、意見をぶつけ合って対立していても、いざ鎌倉という時に、必ず、馳せ参じてくれる人は、有り難い。
逆に、平時において、「国民生活が第一」みたいなことを言うが、いざ鎌倉という時になれば、つまり、解散の文字を見せられれば、鎌倉には馳せ参じず、自分の土地を、つまり、自分の衆議院議員という身分を、ひたすら守ろうとする大勢の人を、テレビで見かけた。登院拒否をして、引きこもっていた人もいたようだ。

 告発作戦や、それに付随する活動を、粛々と進めて参ります。


神奈川県鎌倉市にて
佐藤 政則