鴨長明「方丈記」の書き出しを、思い出しました | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 一昨日、間借りしていました友人宅から、神奈川県内にある安アパートに、ようやく引越しました。20年以上前、まだ私が20歳のころに住んでいました、大阪府寝屋川市の寝屋川沿いから徒歩で5分くらいのところにある文化住宅を、思い出しました。

 "文化住宅"は、たしか、大阪周辺でしか、通用しない単語で、「風呂、便所、炊事場が、共用ではなくて、各部屋に設置されている、主に2階建ての集合住宅」を指す用語だったと、思う。念のため、グーグルマップのストリートビューで、その文化住宅があった界隈を訪れてみると、取り壊されることなく、今も、健在だった。

 風呂と便所へは、一旦、ベランダに出ないと、たどり着かない構造になっていて、冬などは、風呂に入るのが、大変だった。風呂と言っても、上から見ると、ほぼ正方形で、体育座りのままの姿勢でないと、浴槽につかることはできないほどの大きさ、いや、小ささだった。なので、ときどき、財布と相談しながら、銭湯に通ったが、ストリートビューで見てみると、その銭湯は、無くなっていた。

 『行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたる例なし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。』
名随筆家、鴨長明の「方丈記」の書き出しである。私は、若いときからずっと、現世利益ということが、よく分からない。たぶん、私の脳の中の、ドーパミンなどと呼ばれる物質に関する動きが、他の多くの人のそれと、異なっているのではないかと、思う。

 お金は、お金が無いことに起因する問題しか解決してくれない。そして、お金が無いことに起因する問題は、人生の全ての問題のうちの、ほんの一部分でしかないと、私は思っている。
たいていの、人生の問題は、お金があっても、解決できない。


神奈川県にて
佐藤 政則