無責任の連鎖。外相がいない、なり手もいない政権 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 先日、「罰則がなければ、何をしてもいいのか」と申し上げたいと、書かせていただいた。罰則の有無によって行動が変わるようでは、"武士"ではない、という思いを込めて、そう書いた。

 武士の心得などについて書かれた『葉隠』という書物の、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という文言は、よく引用される文言である。文字という記号は、特に抽象的な記号なので、文をどう解釈するかは、読む人次第というところがある。もちろん、切腹を勧める文言ではない。

 「生まれ落ちた時から、余生が始まる」という解悟の境地に、幼くして達せられたみうらどん、いやいや、みうらじゅん氏の「人生とは死ぬまでの暇つぶし」という文言も、重たさを一切排しているが、武士の死生観に通ずる部分があるように、思う。

 責任を全うするということについて書こうとしているが、なかなか難しい。前原誠司氏の外相辞任後、外相の職位が空席になっている。自己都合で会社を退職する場合は、なるべく会社に迷惑をかけないよう、後任の者に引き継ぎをするところあたりまでしてから、退職日を迎えるのが、礼儀だと思う。

 国会会期中だから平日が始まる前に、さっさと辞任をし、問責決議案などをかわす。後任の者が決まらず、外相の職位が空席になっても、お構いなし。そんなに自分が可愛いのか。
普通の会社で、そういうことをしたら、円満退社とは呼ばれず、「あいつは問題のある辞め方をした」と末永く言われることになる。

 今、世界のどこかで、大規模な武力衝突があり、ある国が、外交ルートを使って、日本の外務省に重要事項を伝えてきた場合、外相の臨時代理人が受けるのか。隙間がないように、後任の者が就任するまでの数十時間、他の国務大臣が兼任をすべきである。
天皇陛下の国事行為が増えてしまうけれど、前原誠司氏がさっさと辞任したため、仕方がない。

 あと何日在任しているかは分からないが、国務大臣は、責任を全うして欲しい。