憲法43条1項には、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と書かれている。国会議員おひとりおひとりは、全ての国民を代表している。小選挙区において当選人となったからといって、住民票記載の住所がその選挙区内である人々のみを、代表しているわけではない。
もちろん、国会議員もしくは立候補予定者が、選挙区内で行なわれる数多くの忘年会、新年会、盆踊り、お祭りに出席し、人より一段高い所に立って集まった人々に挨拶の言葉を述べた後、人々の中に入り、握手をして回ることを、あまり意味のないことだとは、言わない。
面授という、仏教由来の言葉がある。人と人は、直接会って力を合わせ、ひとつの目標に向かって一緒に行動しないと、伝わらないことがある。文字、数字、音声ファイル、動画ファイルなどは、記号である。記号ではないものは、直接会わないと、絶対に伝わらない。
全ての国民を代表する国会議員である菅直人氏は、ここのところ、明らかに生気がなくなっている。貝割れ大根を食べてみせたり、四国八十八箇所を回られていたころと比べたら、別人のようである。人は人に会っているとき、なるべく元気そうに振る舞う。だから、元気そうに見えたからといって、本当に元気なのかどうかは、軽々に判断すべきではないと、思う。
そうであるにもかかわらず、公衆の面前で、生気のない表情をしている。私も、どちらかというと、生気のない表情して生きてきた。なので、続けるべきか辞めるべきかという相反することの間で葛藤し、心休まることがない、そういう状態が、数週間続いているのではないかと、他人のことながら、心配してしまう。あくまで一般論だが、元気そうに見えても、男の心は、ばきっと折れる。
カレンダーをどう眺めても、菅直人首相が、"きれいに"辞めるタイミングは、今しか残っていない。もし、私が彼の友人なら、「これ以上、葛藤の間で苦しまず、辞めてご自愛ください」とお伝えする。