連休雑感、傍らに人無きが如し | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 人それぞれ、考え方が違う。感じ方も違う。今、この瞬間に、何十億人という人が生きていても、顔と名前を覚えて、人柄も概ね把握している相手、つまり、近い知り合いの数は、そう多くないと思う。たいていの人は、本当は、狭い世界の中で生きて死んでいく。

 自動車を運転し、行動範囲が広がれば、見聞を広め、多くのものを吸収していると、思い違いをしてしまう。実際は、素早く変化していく視覚情報を得ているだけで、人の脳の性能が向上して、感覚が鋭くなり、洞察力が向上したわけではない。
野外において、車の窓を閉め、空調と空気清浄機で車内の空気の状態を一定に保ち、カーオーディオで自分の好みの音楽を流し、カーナビの指示を頼りに、クラッチが無い自動車を運転する。むしろ、感覚が鈍くなり、洞察力が低下すると、思う。

 ディーゼル列車の中で、飲んだり食べたりした後、空容器や空袋を座席の周囲に置いていく人がいる。駅前には、人待ちをしている自動車が並んでいて、たいていの自動車は、エンジンをかけて無害ではない排気ガスを出し続けている。歩道に片輪を乗り上げたまま、そうしている自動車もある。排気ガスを嗅がされながら、無料自転車置き場へと続く歩道を歩く。その歩道の上に、いつもおなじみの自転車が止められている。もちろん、無料自転車置き場には、充分すぎるほどの空きがあって、満車になっているのを見たことは、一度もない。

 日本人が劣化しているという意見を、よく聞く。過去や未来の人を考慮に入れない。遠く離れた場所にいる人を考慮に入れない。市井に居ながら、傍らに人が居ないかのように振る舞える人が、増えているのかもしれないが、案外、今も昔も変わらないのかもしれない。傍若無人にならぬよう、周りをよく見て、これからも少しずつ書いて参りますので、よろしくお願いします。