人は、一人では生きていけない。なので、物々交換をする。貨幣経済が広まってからは、売買もする。そうやって、生活に必要な物を得たり、サービスを受けたりしている。交換契約も売買契約も、民法第三編の中で規定されている、いわゆる典型契約である。
ある日、はるか遠くの星に住む宇宙人が日本の地に降り立って、「あなたが持っている稲の籾(もみ)と、私が持参した動力装置を交換して欲しい」と提案する。両者が合意すれば、交換は成立する。
ある日、はるか遠くの星に住む宇宙人が日本の地に降り立って、「あなたが持っている稲の籾(もみ)を買いたいので、私が住む星で流通している通貨と円通貨を、交換して欲しい」と提案する。両者が合意に達する可能性は、どれくらいあるだろうか。
1. 両者とも、相手が欲しい物を差し出せば、物々交換が成り立つ。
2. 恒常的に物々交換が行われる間柄であれば、互いの通貨の交換も成り立つ。
地球人の誰も欲しいとは思わない物だけを持っている星の通貨を欲しがる地球人は、いない。
物と物の交換よりも、物と通貨の交換のほうが、はるかに成り立ち易い。そもそも、恒常的に物々交換が行われる間柄の人達の間で、物の流通が円滑に行われるように、通貨が導入されたのだと思う。
恒常的に物々交換が行われる間柄の人達が、わざわざ2種類以上の通貨を流通させ、通貨と通貨を交換することは、とても不自然である。
そういう不自然な状況のままで、かつ、各国の最低賃金の大幅な格差を放置したままで、関税だけを撤廃しようという、とんでもない動きが広がっている。新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるべきである。長くなったので、きょうは、ここまでにします。