国会が負っている責任は、国民全員で負っている | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 過去に成立した法律を批判して、「あの時、私は野党だった」とおっしゃる与党の国会議員がいる。その方が、当時は野党の国会議員だったことは事実だが、そのことを、わざわざ公言する意図が、最初、よく分からなかった。どうも、「だから、私には責任はない」と、おっしゃりたいご様子だった。

 いわゆる"ねじれ国会"のため、厳しい国会運営が予想され、「野党にも責任がある」とおっしゃる与党の国会議員がいる。至極、当然のことを、わざわざ公言する意図が、よく分からなかった。
よく確認してみると、「野党も拒否権を持っていて、拒否権を使うなら、野党にも責任がある」と、おっしゃったらしい。何をおっしゃりたいのか、全く分からない。日本の国政においては、米国大統領のように、立法府を通過した法案に対し拒否権を持つ者は、いない。

 国会で話し合って、法令に従って法律や予算を制定する。制定された法律や予算の責任者は、国会という集合体である。国会という集合体の責任は、国会議員全員で負う。あの時、賛成したとか反対したとかいうことは、なんらそのことに影響を与えない。国会議員は、国民全員の代表者である。よって、国民全員で、責任を負う。国民主権とは、そういうことである。

 ある会社が20年ほど前に製造した暖房機に、不具合があり、死亡事故に至る恐れがあることが分かった。その会社の現経営者は、「私は、あの製品の製造に反対しました」や、「私は、あの時、取締役でも従業員でもなかった」と言って、経営者としての責任を免れることができるだろうか。集合体や組織に責任があるとは、そういうことである。

 冒頭で言及した人のような、よく分からない国会議員が増えた。そのことに対する一国民としての責任を、私はひしひしと感じている。