地下深くに存在する物は、誰の物なのか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
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 人類の歴史を振り返ってみれば、それは、天然資源の奪い合いの歴史であると言っても、言い過ぎではないと思う。自然界に存在する資源を天然資源と呼ぶならば、地球の表層を構成する土地そのものも、天然資源であろう。人類は、肥沃な土地を奪い合い、河川の水利権を奪い合ってきた。

 そして、人類は、地球の表面にある天然資源を使用・消費するだけでなく、地中を掘り進み、地下にある鉱物資源も使用・消費するようになる。金、銀、銅、鉄鉱石、石炭、原油、ウラン鉱等々。
今では、かなりの深さまで掘り進み、鉱物資源を採掘している。液体である原油にいたっては、海底であっても、数千メートルのパイプを埋め込み、採掘している。昨年、メキシコ湾で発生した原油流出事故は、まだ記憶に新しい。

 地下数千メートルの場所に存在する物は、誰の物なのか。地球は、人類が誕生する前から存在しており、人類の工作物ではない。ある国の領土の地下深くに存在する物や、ある国の排他的経済水域の海底の地下深くに存在する物は、その国の物なのか。
地下の比較的浅い部分に存在する原油が枯渇していけば、さらにその下の深い部分に埋蔵されていることが確認されている原油を、採掘することになるだろう。

 民法206条に、「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する。」とある。そういう権利を所有権と呼ぶ。そして、一つの物を複数の人が所有することを、共有(民法249~264条)と呼ぶ。

 少なくとも、地下深くに存在するものに関しては、共有、もしくは、入会権(民法263条)という概念を当てはめていかなければ、資源争奪戦を繰り返すことになると、思う。