40年前の1970年代前半といえば、日本においては、大阪万博が行われ、米国発祥のコンビニやファミレス、ファストフード店が、進出し始めた頃である。また、1970年に10年の期限を迎えた60年日米安全保障条約が自動延長されたり、その2年後に沖縄県が日本に返還されたりした頃である。
米国においては、ベトナム戦争末期であり米国民の意見は分かれ、また、財政赤字と貿易赤字に苦しんでいた頃である。
1971年の夏に、ニクソン大統領は、突然、ドルと金(ゴールド)の交換停止を含む新経済政策を、発表した。ドルと金の交換比率を固定し、そのドルと他の通貨の交換比率を固定することによって世界貿易を発展させようとした、戦後のブレトン・ウッズ体制が、米国大統領ただ一人の決定によって、終焉を迎えることになった。ブレトン・ウッズ体制は、連合国が集まって協議をして作られたものであるけれど、ブレトンウッズ体制を終わらせる決定は、西側諸国が集まって協議することなく、ニクソン大統領が単独で行った。
冷戦下の当時の西側諸国の中で、米国の決定権がそれほど強かったということなのか。1971年12月に、西側諸国の財務相が、スミソニアン博物館に集まり、ほんの少し話し合いの場が設けられ、ドルと他の通貨の新しい交換比率が決められ、円ドルのレートは360円から308円になった。その後、済し崩し的に完全変動相場制に移行し、今に至る。
仕組みや制度を立案し、その案を他国に説明し納得させて賛同を得ることによって、世界の中で主導権を確保することが、いかに大切か。
目先の政局も大切なことだけれども、大局的に人類社会の有り様を見ていかなければ、またぞろ、資源争奪戦を繰り返すことになると、思う。