少子化に対し「対策」を講じることは、意味があるのか | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 少子化対策について、様々なことが議論されている。子供の出生率が下がり、子供の人口が減っている。対策という単語が使われているということは、少子化は問題であり、その問題に対して策を練り、解決すべきである、ということだと思う。

 実は、私は、「人口は、増え過ぎれば減るし、減り過ぎれば増える」と考えているので、対症療法的な策を講じることは、あまり意味がないと思っている。

 このまま少子化が進めば、「自分が年老いたときに、ひとつ上の世代ほどには、楽な生活ができない」、つまり、「自分が困るから、子供を増やせ」と言っているように、私には聞こえる。どうも今ひとつ、生まれてくる子に対する愛が、感じられない。

 「このまま少子化が進めば、もろもろ困る。だから、出生率が上がるようにあの手この手を使った結果、生まれてきたのが、君達だよ」ってことが、子達にもれ伝わったら、子達はどう思うだろうか。

 100万人の国では、100万人が力を合わせて100万人の生活を支える。1億人の国では、1億人が力を合わせて1億人の生活を支える。比は同じである。今、出生率が低いのは、人口が増え過ぎたからであり、増え過ぎたのであれば、ある程度まで人口が減るまでは、トレンドは変わらない。私は、そう思っている。

 2010年度に、国債を何円分償還し、何円分新規発行した上で、子ども手当を何円分、配っているのか。ぞーとする数字なので、いちいち書かないでおきます。

 話が変わるが、厚生労働省所管の法律に、次世代育成支援対策推進法(平成15年法律第120号)という名称のものがある。この中の対策という単語に、私はずっと、違和感を感じている。