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chick3791 日常あれこれの発信

早や7月。
野菜・・ドイツ豆がよく実りました。大きくて、柔らかくて、おいしい。
果実・・桃が大きく実った。初めて沢山実った。何百個あるかな?
早速鳥がつつきに来るので、網掛けが大変。


この開聞岳へ行くには、JR最南端の駅「西大山駅」から3駅目にJR「開聞駅」がある。
この九州最南端を走る「JR指宿枕崎線」の終点に近い駅は一般的になかなか近寄れない場所にあり、鉄道maniaにとっては、恰好のスグレ駅である。

JRの最南端駅「西大山駅」
ここから、九州最大の湖である池田湖へdrive。池田湖はScotlandにあるNess湖に生息するといわれる怪獣Nessieと同じような生物が生息しているとされている湖。また、太くて大きいウナギの生息地でも有名とか。

Ness湖のNessie

大うなぎの看板
当日は12月の半ば、曇りがちであたりに観光客は全然いなかった。もちろん店屋は全て閉店状況、殺風景で風が強かったがそんなに寒くは感じず。なんだか春の息吹が感じれれた。はるか向こうに開聞岳が見える。

池田湖から開聞岳を望む
通りすがりの畑では、12月の半ばというのに、えんどう豆が大きく育っていた。「やはり南国は違うなー、大阪よりも4~5か月も早く、もうすぐ食できそうだ。

the end

私は陸側の列となり、足を陸側、頭部を海側にして仰臥しが、この写真のように直線上の二人とも頭部を陸側に向けている場合もある。いずれにせよ、背もたれのある形に砂を成形してあるだけである。
係員がscupで砂を私のbody全体に掛けていった。

砂蒸し温泉 砂蒸し温泉
砂の重みがずっしりと応えてきたが、身を動かせば容易に砂がずり落ちる程度である。感じからすると≒10cmは載っていると思う。目線上には、10分を目途に中止する旨の注意書きが見えた。私は折角なので、15分まで持ちこたえた。かなり熱いし、ジレッタイ。

天蓋付きの横臥2列縦隊
その後は、シャワーで砂を落とし、浴衣を箱に入れて、温泉にザブン。ここですっきりとしたら、上がって帰るのみ。ゆっくりと時間を過ごしたい方は、drink corner、食事処もある。私は宿で食事が有るので、また、吹き降りの雨の中を帰る。
翌日の昼食は車で、道の駅山川港「活(い)お海道」へ連れて行って頂いた。

道の駅 山川港「活(い)お海道」

おいしいかんぱち・活け鰹の刺身丼を頂いた。

かんぱち・活け鰹の刺身丼
こんな新鮮な味は、大阪ではなかなか味わえない。本当においしかった。この味は、高知のhotelで味わって以来の味だ。 ここは、カツオの水揚げ量が全国1位?だとか。昼食休憩を少し延長して、序に、開聞岳から池田湖へdriveして頂いた。


開聞岳:標高924m
開聞岳は平面の等高図を見ても見事な円錐形、側面投影角度も30~40度くらいで非常にきつい。当地の中学・高校では、体育としての登山もあるようだ。


指宿は「砂湯」、「砂風呂」あるいは「砂蒸し」で知られている。以前に一度経験してはいるが、その感触を忘れてしまっていたので、記憶を取り戻したい気も湧いてきた。
指宿は各戸に温泉が配管されている。当然この宿泊hotelにも温泉が有るのに・・・と思いながら、その翌日の夕方女将にいうと、

指宿?「hotel波の上」
「それじゃー、歩いて15分くらいだから、行ってみたら・・・?」という。生憎当日は雨天で、時折大粒の雨と強風が吹き荒れていた。しかし、またとない機会であり、記憶を新たにしようと、この雨の中をわざわざ、傘を借りて吹き降りに耐えながら教えられた道に歩を運んだ。
いざ到着すると、こんな所だったかなー? 立派で長いescalatorで2階まで誘導された。

砂蒸し温泉「砂楽」の玄関
20~30年経過した間に、施設の整備も様変わりしたのだろう。
しかし、一元さんがその日の風呂代わりに砂湯に来られるのは、ここは市営の砂湯会館だからこそだ。説明に従って素っ裸に浴衣となり、矢印に沿って戸外に誘導され、前方に見える防波堤上の階段から下の砂浜へ降りる。

いざ、砂蒸しへ(堤防下)。
堤防の下はずっと通路が前方に続いており、右側(海側)の砂浜がテント天蓋付きの砂蒸し場となっている。海岸線と直角方向に直身仰臥の2~3列縦隊でズラリと並砂蒸しを受けるのだ。

堤防下に有るのは・・・・?
なるほど、この堤防下の通路、この景色だと、思い出すところがあった。



12月半ばの夕刻5時前はもう薄暗く、海岸沿いに走っている市道をかなり歩いたが、目指す宿が見当たらない。最寄りで開いていた仕出し屋さんで聞くと、とうに行きすぎていたことが分かった。何故だろうか?  


Hotel波の上

この宿を予約したときに、電話越しに会話をしたことを思い出していた。danceにも興味のある年配の女将のようで、果たしてどのような方なのだろうか?



海に面した部屋
女将はなかなかの「やり手」で、大きなhotelを一人で切り盛りしている強者でした。夕食時には、旦那様とのぜいたくな旅行の話を、いろいろと、聞かせていただきました。

部屋のverandahからの眺め
このお宿は、海岸沿いに建つ数少ない絶景の場所。通された部屋と、そのverandahからの眺め、指宿市が20年ほど以前に策定した今後の都市計画として、宿の前面の海岸を約100m埋め立てて道路・公園を建設するという。前面に見えている離岸堤も消滅してしまうそうだ。

当hotelも、今はその計画に賛成ではない。この少子高齢化・人口減少を抱える時代になって、そんな以前の計画をそのまま実行するなんて???

今の時代には、もっと適切な経費の使い道があるはずだが、今の官庁systemは、それをきっぱりと改善する術が無いのだ。



高見橋で下車、甲突川左岸側線路沿いにややバックした位置の歩道脇に、「大久保利通像」を見つけた。台座が高いため、全体を撮影するのにかなり車道側に入り込んで撮影した記憶がある。
大久保利通の座右の銘は「為政(いせい)清明(せいめい)」(政治をなすには、清く明瞭であるべし)である。

「大久保利通像」
西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、明治維新を造り上げ大きな仕事をした各位が、ことごとく非業の死を遂げている。これも、その時代を生きた英雄の通らざるを得なかった道程であったのだろう。
ここから「維新ふるさと館」へは、道標がなく、観光客泣かせであった。
「維新ふるさと館」は、幕末の薩摩、明治維新についての情報とその発信を意図して建設されたものである。B1階の映写室でvideo観覧のserviceがある。持ち時間があれば是非参加されれば、当時の薩摩の雰囲気と明治維新への道程の理解がし易い。



「維新ふるさと館」
近くには西郷隆盛の生誕地がある。また、この辺りは加治屋町と称し、歴史探訪のための武家屋敷、大久保利通の生い立ちの地でもあり、甲突川左岸沿いに散策用の緑地帯が設けられている。

「西郷隆盛の生誕地の碑」
鹿児島中央駅発、快速なのはな号:指宿枕崎線 喜入・指宿・山川方面(下り)15:37分 に乗車。16:38分 指宿駅到着、下車。大勢の高校生と一緒に降りた。ここから本日の宿 「ホテル波の上」を目指し、海岸を目掛けて歩く。



照国神社は島津家28代当主島津斉彬功を祀る神社である。
 「照国神社」
斉彬は、中国清朝がアヘン戦争で英国に敗北したことから、西欧諸国の植民地政策を恐れ、日本が西欧列強のレベルに早く追いつき、豊国となる望みを強く抱いていた。1851年(嘉永4年)に43歳で藩主就任と同時に集成館を中核として溶鉱炉を建設し、大砲、造船、紡績、ガラス製造等、富国強兵・殖産興業政策を推進した。
 反射型溶鉱炉跡、前方に見える石造建物が「尚古集成館」
また、家柄にとらわれない優秀人材を育成・登用した。そのうちの一人が西郷隆盛でもある。
天文館あたりから市電に乗り高見橋まで行こうと思ったら、高見馬場で左折して別の方面に行く電車に乗り合わせていたことが分かった。運転手に急いで事情を話して、降ろしてもらった。
鹿児島市電の姿
鹿児島市のように居住区域が山と海の近接している細長い線的な地形では、市電の利用が非常に効果的だと思う。嘗ては大阪の払下げ市電も当地を走っていたそうだ。

この界隈は島津氏の居城であった鹿児島城(鶴丸城)の本丸跡地である。鶴丸城は天守閣を持たない屋形造りを特徴としていたとのことである。往時の姿はどのようであったのだろうか?
外周の堀や石垣は当時のものである。

「歴史と文化の道」に面した「鶴丸城址跡」
「鹿児島市立美術館」には、黒田清輝、藤島武二等 鹿児島に所縁のある画家の作品、欧州の印象派作品等を展示している。

鹿児島市立「美術館」
「かごしま近代文学館」には、海音寺潮五郎、林芙美子、有島武郎、里見弴、吉井勇等 鹿児島に所縁のある作家の遺品・文学資料の紹介があり、図書館が併設されている。子供の遊び場「ミニアスレチックス施設」のある「かごしまメルヘン館」も併設されている。

「かごしま近代文学館」
「鹿児島県立博物館」は、内部がかなり雑然としていた。展示物とその展示方法の改良が望まれる。

「鹿児島県立博物館」
台座石を含めると高さ8mもある軍服姿の西郷隆盛。天命を重んじた彼の愛した語彙は「敬天(けいてん)愛人(あいじん)」(天命を自覚し、天の慈愛を他に施す)である。
幕末の西郷は天命を全うした。明治維新の抱える問題や矛盾を一身に背負って、日本国最後の内戦である西南戦争で果てた。
大きな使命は一個人では完成されること無く、何時しか志あるものに継承されていくものだ。その時代、意志を共有できた輩がtimingよくいたからこそ、明治維新は稀有にも成し遂げられた。

「歴史と文化の道」に面している「西郷隆盛像」
幕末の格差社会の時代に、家柄・出身地の分け隔てなく人材を登用した一地方の藩主:島津斉彬の政策の凄さが伝わってくる。明治維新を成功させた数多い輩の中で、やはり鹿児島人には西郷隆盛が大人気のように思える。

実は、数か月を経過した4月1日、これを記述しているときに、再度訪問するために敬天閣にTELをしてみると、本年3月末を以てKKR敬天閣の幕を閉じたとのことであった。観光客不足で、経営が困難であったことがうかがわれ、惜しいものだ。April Foolであってほしいものだが・・・。


図書館側からの敬天閣

当該地は近代日本の先駈けとなり明治維新を切り開いた薩摩藩士:西郷隆盛、大久保利通、五代友厚、森有礼、その他の面々を育んだ地、近隣にはその名所・史跡が在り、風光明媚な土地柄であり、敬天閣が消え去ることは真に残念なことである。

翌朝は余り遅出とならないように、9時前にfrontに荷物を預けて、敬天閣を出発した。

鹿児島市内散策図
幸い当hotelの立地は、「歴史と文化の道」と「城山」を挟む、美術館・博物館・図書館・文学館・黎明館・神社 等の文化施設の並ぶ位置にある。すぐ隣の図書館から順に、周囲を一巡することにした。


県立「図書館内」
朝の九時というのに、最早や書架の脇にある椅子に座して、本や新聞を読みふけっている輩がいる。敷地伝いにお隣の鹿児島県の歴史・民俗・美術・工芸資料を展示している「黎明館」へ。


県立「黎明館」




 そのころはもう日が暮れんとしていた。夕陽が沈んだ後の桜島は、赤く染まったであろう後なので、黒ずんでいた。しばらく、この壮大な景色の前でwhiskyを楽しみました。


KKR敬天閣の部屋の窓から。
明日は朝から一日たっぷりと観光できる。しかし、知覧、指宿方面の観光バスは鹿児島発しかなく、夕刻には再び鹿児島へ戻ってきてしまう。よって、午後3時ころまで鹿児島を散策して、その後に指宿へ行こう。

先ずはwhiskyを少し楽しんでから、桜島を望む浴場へ。湯船の湯を窓にぶっかけると、曇りが消えた眼前には、先ほどの桜島が見事に映えていた。


温泉の様子
湯上りで、直ぐに食堂へ。立派な食堂の奥行は深く、その向こうには厨房が有るようであった。かなり広かったが客はまばらであり、少し気になる。飲み物に焼酎を注文したら、「三岳」を運んでくれていた。


敬天閣の食堂

料理は特別なものを選ばなかったが、豪華すぎて、全てを平らげることはできなかった。モッタイナイので、酒の肴に持ち帰る工夫をした。


その夜の献立

庭園の芝生と桜島がまったくの赤に染まるまでは、待っていられなかった。
 


夕陽に映え始めた桜島

再び尚古館へ戻ってみると、もう閉館時間で入れなかった。


 尚古集成館 前方の石造建物

慶応元年(1865年)に島津斉彬が築いた近代工場群の跡地に残る元機械工場である。

館内では、薩摩藩が明治維新にいち早く導入した近代工業の紹介、薩摩藩の歴史や文化の紹介をしているとのこと。


schedule通りにbusは名勝 仙巌園 および 尚古集成館を後にして帰路に。天文館でバスと別れた。


本日、鹿児島空港11時30分ごろ到着し、空港で観光バスを予約、13:30~15:25までの半日ツアー、\2,780円は多忙のうちに終了。この1日で何度か通った道の記憶をたどって、宿(KKR敬天閣)へ戻る。
 


 城山の麓にある KKR敬天閣