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chick3791 日常あれこれの発信

早や7月。
野菜・・ドイツ豆がよく実りました。大きくて、柔らかくて、おいしい。
果実・・桃が大きく実った。初めて沢山実った。何百個あるかな?
早速鳥がつつきに来るので、網掛けが大変。

 

  ヨーロッパでも最高のレベルを誇る、スイスの「チューリッヒ連邦工科大学(Eidgenössische Technische Hochschule, ETH)」に進むのが、彼の計画であった。  ドイツの「ギムナジウム」をきちんと終えていれば、無試験で入れたのだが、途中でやめてしまったため、入学試験を突破しなければならなかった。

 

 チューリッヒ連邦工科大学_1
 
  当時のアインシュタインは兵役を逃れるためドイツ国籍を放棄していたので、卒業証書も、国籍もなかった。  結局、大学の入試は不合格だった (数学と物理では優秀な成績を示したが、現代語と動物と植物で思わしい点数が取れなかった)。

  父親のすすめもあって、スイスのアーラウという町のギムナジウムに編入することにした。 それは、挫折ではなく飛躍への第一歩ともなった。

 

  Aarau Gymnasium_1
 
  Aarau Gymnasium_2
 
  アーラウのギムナジウムにはすぐれた教育システムがあり、最新の物理学研究室を備えていた。 この研究室で、アインシュタインは先人が示した電磁気の物理法則が確かであることを初めて確認した。 例えば、コンパスの針を電気回路或いは電線に近づけて、電流が磁界を誘導することなどを確かめた。 

 

  また、彼は、単純な棒磁石を使って、砂鉄が磁力線に沿って集まり、形成するパターンを研究した。 また、「光」が、空間を移動する電磁波であることも知った

 

  スイスのアーラウのギムナジウムを無事卒業したアインシュタインは、チューリッヒにある念願の「チューリッヒ連邦工科大学(スイス連邦工科大学チューリッヒ校:ETH:Eidgenössische Technische Hochschule Zürich)」に入学した。  「ETH」は、ヨーロッパ屈指の工科系大学であり、実験設備も最高に充実していた。しかし、アインシュタインは、あまり熱心な学生ではなく、お気に入りのカフェに入り浸りだった。

 

  Zürich連邦工科大学_2
 
  アインシュタインは、コーヒーをたしなみながら、何時間もクラスメートと語り合った。その中に同じコースを選んでいる一人の女子学生がいた。

 

 

5才のとき、アルバートは初めて家庭教師の指導を受けた。このとき彼は癇癪をおこして、家庭教師に椅子を投げつけたので、家庭教育はその場で終わりとなりました。


6歳のとき、父は息子をミュンヘン市内の国民学校(Grundschule 4年制で日本の小学校にあたる)へ通わせました。 しかしいつも父から自然科学や数学を学んでいた彼にとっては、小学校の授業は幼稚でつまらないものだったといわれています。


1886年8月(アルバート7才)、母パウリーネは彼女の母親に次のように書いています 『きのうアルバートは成績をもらいました。また成績は一番で、彼の通信簿はすばらしいものでした。』 しかし、アルバートは依然として静かな子供で、学校友だちと一緒に遊ぶことには関心がなかった。


1888年10月(アルバート9才)、父はアルバートを将来大学まで行かせるつもりで彼を高等中学校(ルイトボルト・ギムナジウム:9年制)へ進学させました。というのは、当時ドイツではギムナジウムを卒業した人だけが大学に進学できたからです。


アルバートが10才を過ぎるころ、貧乏医学生のマックス・タルムートが毎週木曜日夜、規則的にアインシュタイン家の夕食にやってきました。彼は、アルバートに科学の通俗書を読ませたり、カントの著作も与えました。二人は、科学と哲学を論じて何時間も過ごしたことがあります。また、ピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の証明を寝る間も惜しんで考え、そして自力で定理を証明しました。


  ピタゴラスの定理の正方形による図解証明

 

12才のとき、アルバートはユークリッド幾何についての小さな本をもらった。明快に記述されたその内容は彼に多大なimpactを与えました。彼はその本を神聖な幾何の本と呼んでいた。 彼は独学で微分・積分学もこなしました。また、この時期に天文学の存在を知り、物理学に関心を示すようになっていきました。

 

1894年(アルバート15才)、ドイツでの事業に失敗した父ヘルマンは、工場をイタリアのパヴィア(ミラノから南約40km)に移し一家も引っ越しました。ただ、アルバートだけは学校の卒業資格が必要なために、一人でミュンヘンに留まりました。


  Albert Einstein(15才)


アインシュタインの回想 「私はミュンヘンの学校が、いやでたまりませんでした。厳格な規律と権威主義。 教師は軍人のように、むちを振るって、隊列を組ませます。私は逃げ出す方法を探し求め、やっと見つけだしました。つまり、懇意な医者から一通の診断書をもらってきたのです。 私が神経衰弱に苦しみ、すぐにも学校を離れる必要があるという内容でした。」


統一後間もないドイツ帝国の軍国主義教育は、自由にして闊達なアインシュタイン少年の気質には合わなかったのです。

 

アインシュタインはついに退学し、連絡もせず突然、イタリアのパヴィアの自宅玄関に現れ、両親に、こういったそうである。 「心配しないで。浮浪者になるつもりはないから。ぼくには、ちゃんと計画があるんだ。」


  Albert Einstein博士の名言を紹介しているうちに、調子に乗って博士の深淵な領域にまでやや入り込んだかと思い、これからどのようにstoryを展開すべきかと、思案しました。


  しかし、博士に関する記事に触れるにつけ、彼の偉大なる業績とその名声とは別に、その特異な風貌、しぐさ、ユーモア、子供らしさ、質素さ、自由奔放さ等が私を鼓舞し同調させました。


  そこで彼の生きざまや、何故20世紀最大の発見がNobel Prizeに届かなかったのかについて、幾ばくかの歴史上の逸話を時系列に紹介していくことにしました。


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  1880年、アルバートが1歳の時に、一家はヘルマン(アルバートの父親)とその弟ヤコブが新しい水道関係の事業を開始するために、ウルムからミュンヒェンに移りました。その翌年に妹マヤが誕生しました。


  アルバートは話し始めるまでに異常に時間がかかったので、5歳頃には 「知恵遅れ」 かと心配されました。しかしその心配は消え、逆に、単なる記号処理的な頭脳の働きでなく、全体を把握する能力がそのころに養なわれていたとも言われています。
 幼少時のAlbert Einstein

  両親は溢れる愛情で、いろんな角度から子供に接しました。母親パウリーナ・アインシュタインはなかなかのピアニストでありました。家庭内に音楽を持ち込み、子供たちの音楽教育は早くから始まりました。妹のマヤは4才からピアノ演奏を、アルバートは6才頃から13才頃までバイオリンの指導を受けました。バイオリンは後々彼の大好きな楽器となりました。


  父親ヘルマン・アインシュタインは、飾り気のない心のやさしい、どちらかというと受け身的な人間で、すべての知人から愛され、文学を好み、夕方には、よくシラーやハイネを家族に朗読してきかせました。
 Hermann Einstein(Albertの父親)
ヘルマンの弟ヤコブ叔父さんは、アルバートに数学の問題を再々出し、アルバート少年は問題を解くと、深い幸福感を味わっていました。


アインシュタインの回想

  「4~5才の頃、父が方位磁石(コンパス)を見せてくれました。どんなに動かしても針は常に一定の方角を示します。それを最初に見たとき、コンパスがこれほど確かな動きをするという事実が、私の世界に対する考え方を変えました。 
  それまで私は、何かものを動かすには、それに触らなければならないと思っていました。しかし、あの瞬間、 物事の背後には深く隠された何者かが、存在するはずだということに気がついたのです。」
 方位磁石
  謎めいたその何者かとは「電磁気」であり、自然界にある基本的な力としての電磁気の発見は、19世紀物理学における最大の進歩であり、まもなく大きな技術革命をもたらす要因となりました。


そうなんですね。なかなかのイクメンですね。
 
博士の記事を書くなんて畏れ多いことであります。 他のことを
記述しているうちに少し考えが変わってきて、humor溢れる名言の多い博士のところで少し脱線することにしたのです。暫しお許しを頂きたいと存じます。


20世紀最大の物理学者であり、今世紀に入って最近、彼の残した仮説の検証がやっと一つ証明されましたね。  そうなんです、現世では誰よりも知名度が高く、現代物理学の父とも呼ばれているAlbert Einstein博士です。


新発見、(新発明ではない)の多い中で、特に特殊相対性理論と一般相対性理論は、内容が難しくて良く分りませんが有名ですね。 しかし1921年のノーベル物理学賞を受賞した対象は、それ以前に発表された光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によってでありました。


そのtitle文言は誰もが知り、世の思想をくつがえした 「相対性理論」、その余りにも大きい世紀の偉業に対しての再受賞がその後何故行われなかったのか、不思議でなりません。Nobel賞選考委員会は戦争に翻弄されたのか? 1999年には『The Times』から『Person of the century』(20世紀の人)に選出されました。


 
1879年3月14日午前11時30分、ドイツの小都市Ulm(Munchenから西へ約130km)にて、羽根ふとん商のJewish系家族の長男として生誕しました。


20世紀は夢・希望の世紀でもありながら、2度の世界大戦を経験した不安・混沌の世紀でもありました。


この激動の世紀の初め、博士は「相対性理論」によって、万人の宇宙観を変えたのです。途上で大戦に巻き込まれて紆余曲折、欧州からAmericaへ脱出しました。
 


以下は、本人の若かりし日の、貴重な写真、彼の妹と一緒に収まっているところです。お二人ともよく似ていますね―――。 なんと、日本の番傘をさしていますね? どうして、そんな時代に、そんなに裕福でもないこの一家に番傘なるものがあったのでしょうか? ご推測ください。一体どなたなのでしょうか?

 

次は、本人の壮年期、世界的な名声を得て、乗りに乗っているときの姿でしょう。
彼は神から知恵を授かった賢者であり、頑固一徹、努力の人でもあったようです。
また、常識にとらわれない自由人であり、かなり変人でもあり、思考のためなら しがらみのある家族も顧みないというくらいの孤高の士の実践派でもあり、宇宙そのものを神として信じていたそうです。

 

 
皮肉たっぷりのhumorを駆使し、世の人々に愛されたphotogenicな方、ここまで来ると、もうお分かりでしょうか?



まだ続いてますよ。どうぞ、お考え下さい。 これら一連の格言を記述した方はどなたでしょうか?





Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning.
昨日から学び、今日のために生きて、明日に希望を持て。大切なのは、疑問を持つのをやめないことだ。


If A is success in life, then A equals to x plus y plus z. Work is x, y is play, and z is keeping your mouth shut.
人生における成功をAとすると、A=x+y+z が成り立つ。 xは仕事、yは遊び、そして、zは黙っていること である。






横内愛弓さんに、再登場を願いましょう。



横内愛弓 演奏  Franz Liszt La Campanella 鐘



A hundred times every day I remind myself that my inner and outer life depend on the labors of other men, living and dead, and that I must exert myself in order to give in the same measure as I have received and am still receiving.
私は毎日100回も言い聞かせます。私の内的、外的な生活(くらし)は、他の生ある人・かつて生ありし人の労力のおかげだということを。そして、私は私がすでに受け、また、現在もお世話になっているのと同じだけのものを、他へ与えるために尽力しなければいけないということを。


さあ、この方の名は・・??



前号から引き続き、これらの格言を記述した方は どなたでしょうか?

Life is like riding a bicycle.  To keep your balance, you must keep moving.
人生とは自転車のようなものだ。 倒れないようにするには走り続けねばならない。



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  ここで、ちょっと脱線しましょう。
上記の名言を受けて、世間では数々の名言が生まれています。とにかく増殖していくのです。その中には、originalの名言よりも、より分かり易く、受け入れやすく、fitしたものが以下のように多々生まれているのです。 故に、一般的には本元がどれなのかが分からない場合が多く、原文も語彙が少しずつ変化していくのも、仕方のないことでしょう。

変化① Life is like playing piano. What you get depends on how you can play.
人生はpianoを引くようなものだ。そこから得るものは、自分がどんな弾き方を するか次第だ。 (だから、美しく奏でよう。)



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このへんでrelaxして、横内あゆみさんの「Johann Pachelbel‘s Canon」のpiano演奏を聴いてみましょう。
 横内愛弓さんの演奏 "canon“




https://www.youtube.com/embed/ojchW89_Q6g


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piano演奏から戻って、スッキリした気分で、


変化② Life is like a novel. You are the author. Every day is a new page.
人生とは小説のようなものだ。 あなたは作者、毎日が新しいpageである。


変化③ Life is like photography. It’s developed from the negatives.
人生とは写真のようなものだ。 写真はネガ(否定的なもの)から現像(発展)される。

後続を省略。 脱線はここまでとします。   


これからが本番。



名言(格言)は、 その文章のnuanceから、人によっては感じ方が違ってくるものも有りますね。
①「誰が考えてもその通りだ」というものから、 

②「分かるようで 分らないか、分からないようで分かる」、 

③「そのようには思えない」、 

④「意味が定かでない表現が含まれている」、 

⑤「何度読んでみても、理解できない」、 

⑥「どうでもよいことを、理屈っぽく述べている」、 

⑦「誰が考えてもその通りだが、現実からは程遠い」、 

⑧「ショウモナイことを言っている」、 

⑨「当たり前のことを、うまく綴っている」、 

⑩「当人しかできないことを述べている」 

⑪「読んでいると、迫真の思いがしてくる」、

⑫「理解できないが、凄いことなのだろう」 等々、色とりどりである。  

前回の福沢諭吉の名言は、多分⑦に属するのかな・・・???



    

ある人物の、数多くの名言記述の中から、以下の数首をpickupしてみました。記述した本人は、一体、どのようなお方でしょうか・・・・????  かなりの方がご存知では・・??


Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.
挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。


If you can’t explain it to a six year old, you don’t understand it yourself.
6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。

Imagination is more important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world.
空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。


The more I learn, the more I realize I don't know. The more I realize I don't know, the more I want to learn.
学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。


まだ続きます。次号をご期待。


この広い世間には、「名言」なるものが数えきれないくらい有ることは周知であります。全くcountlessです。
「名言」とは・・? 読んで字の如くであり、当然、誰もが自由に提唱すればよいのですが、今となっては類似を含めて既に誰かにより記述されていますし、また、当人の知名度がその言を確定化する力を有していることも事実であります。
  

福沢諭吉、日本国最高額紙幣に隠喩されている明治維新の偉人 曰く、 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

  この名言は、国民学校・小学校時代に学んだ記憶が有りますが、皆さんはいかがでしょうか?


壱萬円札の福沢諭吉肖像

  「名言」の確固たる定義は見当たりませんが、大要としては、「人として生活していく中の諸事象において、特に人生訓に関するものが多くあり、『なるほどその通りだ』と、誰もが納得できる短い文言」 ということでしょうか。
この地球上で精神を有する唯一の生物である人間の生活範疇は広いが、名言はその中でも、人としての本質や心理に訴える哲学的な意味合いを持つものが多い。