お誕生日~徳川美術館「その他いろいろ」編(その3)。 | 雨の降る日も晴れた日も

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日々の感じた事を綴ります。




ハハハ。

昨夜は寝落ちしてしまいました。

書き始めの時間のままだわ。

ま、いっか。




さぁ。

お次の部屋は・・・。

第5展示室、「大名の雅び-奥道具-」です。


もうね。

雅び、雅びで食傷気味(笑)。

本当はこういうの好きな筈なんだけど・・・。


お?

少しは「侘び」が身に付いてきたってことであろうか?


いや、違うか(笑)。

知力、体力が足りないのね・・・orz

かなり「ヘロヘロ」になっておりました、私(笑)。

もともと「泪」に逢いたかっただけだし。


ここでは尾張徳川家11代藩主・徳川斉温(なりはる)の正室・福君(さちぎみ)さんのお嫁入り支度がどど~~ん!と展示されていました。

福君さん。

五摂家筆頭の近衛家から嫁いできた人らしいです。


その御支度たるや!!

蒔絵、蒔絵、蒔絵!!

って何も「蒔絵さん」という女性の名前を連呼しているわけじゃなく。


梨地に徳川家の葵紋と、近衛家の紋である抱牡丹紋(だきぼたんもん)と、菊の折枝があしらわれている、というとても贅沢なもの。

菊の折枝は朝廷を表しているんでしょうね、きっと。


え~と・・・。

感想言ってもいい?


この福君さん。

1820年生まれで1840年に亡くなっております。

18歳で嫁いで20歳で亡くなってるのね。

つまり2年間の結婚生活。



んまっ!!

おいたわしい・・・(泣)。


とは、建前の感想。



本音はね・・・。



うわっ!!

費用対効果の悪い人だな~~~~っ!!!


でした(汗)。


だって、物凄い調度品なんですよ?

そんな支度をしてもらって、たった2年しか使わなかったなんて・・・。


(あ~、もったいな~)

と思ってしまう私は超ド庶民(笑)。


でもね、室礼のところでも感じたんだけど、あんな「キンキラキン」の中で毎日生活していたら、そりゃ早死にするわ。

病むで、ありゃ。

こうしてたまにガラス越しに見学するから楽しいんだよね。

(って、私はけっこう精神病みそうになりました・・・笑)


え~と、あったのは駕籠やら長持やら貝桶やら附属の合貝(あわせがい)やら・・・。

まぁ、豪華絢爛でした。


合貝に使われるのは蛤ですね。

私の感想。

(わ~~、大きな蛤!!)

(食べ甲斐があっただろうな~~)

でした。



そして「キンキラキン」の毒気(?)にあてられた私は、ふらふらになりながら(←って大袈裟)次なるコーナー「蓬左文庫」へ。

蓬左文庫。

この名前、憶えていらっしゃいますか?

楊貴妃の蓬莱伝説の記事の中にチラっと名前を書きました。


ここでは「ひなの世界」という企画で、寄贈品のお雛様を中心に「雛祭り」に関する展示がされていました。


お雛様。

私のはもうご供養に出してしまったのでありません。


お内裏様(男雛)の太刀と右大臣・左大臣の太刀が鞘から抜ける仕様になっていて、妹とチャンバラした記憶があります。

(って、ロクでもない娘達だ・・・)

ちなみに五人囃子くん達も刀らしきものは差すのですが、抜き身に出来ません。

ただの棒っきれでした。


あと、憶えているのは牛車の車輪を回すとオルゴールになっていて、『うれしいひなまつり』のメロディーが流れるの。

オルゴールの音色が好きで、回し過ぎて壊しました(笑)。

(って、ロクでもない娘だ・・・)


まぁね。

楽しかったですよ、飾りつけするの。


「お雛様は二月の風に当てろ」ということで、毎年2月の中旬の日柄のいい土曜日か日曜日に出していましたね。


そしてお節句を過ぎても出しっぱなしにしておくと婚期が遅れる、という言い伝えがありますが、3日の晩に片付けるなんて面倒くさいですよね?

なので、とても素晴らしい裏技をご紹介しましょう(笑)。


それは・・・。


「お人形を後ろ向きにしておく」

ですっ!!


何故かって?

はて?

何故だろう?

でも、うちではそうしていました。




大きな犬張子(犬筥)も展示されていました。

私、あれ、嫌いだったな~。

人面犬ですよ、人面犬っ!!

まったく可愛くないんだもん。

(ただ不気味なだけ)



と、もうそろそろ記憶が怪しくなってきました(笑)。


他にも源氏物語絵巻に関する展示室や、名古屋の古地図に関する展示室もありました。


光源氏。

相変わらず大っ嫌いな男性です(笑)。

節操のないマザコン男。


あっかんべ~~~!!

あんなヤツ、蹴っ飛ばしちゃえ(笑)。




最後にまたまたお雛様の展示コーナーがあって、おしまい。


ここで見たのが、

「芒に月蒔絵貝桶附属合貝」。

「芒に月蒔絵貝桶」本体は見当たりませんでしたが、それに附属した合貝が先ほど見た福君さんの合貝と一緒に展示されていました。


ま、福君さんのは立派です。

それに比べると、貝も小さめで少々見劣りするような・・・。


これは尾張徳川家初代の義直さんとその側室・貞松院さん、その間に生まれた娘の普峯院京姫さんの三人の手によるものだとか。

描かれているものは、馬に瓢箪、水に扇、鹿に紅葉、双六、猿まわし、羽根つき、鏡に櫛、水仙、鯛、雪だるま、枇杷に猿、猫、犬、ふくろう、燕、本、琴、白鷺、橋に杜若と公達の姿(在原業平でしょうか?)、梅を見る公達(菅公?)、波に兎(因幡の白兎?)・・・。

と、花鳥風月、風俗、生活道具に物語・・・。

特にテーマは決まっていないようでしたが、とても清楚な筆で、親子三人で仲良くその時々に気に入った画を描きました、というような感じがとても素敵でした。




そっか・・・。

福君さん。

こういう幸せを知らずに亡くなっちゃったんだね。


せめて斉温さんと暮らした二年間が楽しいものだったならいいな。


ゴメンね。

費用対効果の悪い人、なんて言っちゃって・・・。


以上、反省しつつ徳川美術館レポートを終わります。


他にもいろいろな感想があるんだけど・・・。

とりあえず。











※画像は美術館入り口ロビーに飾ってあったものです。
 これは撮影OKでした。


※「尾張徳川家の雛まつり」展。4月5日迄です。