「依存」は「主人公」の最大の敵なり。 | 雨の降る日も晴れた日も

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日々の感じた事を綴ります。

瑞巌(ずいがん)の彦(げん)和尚、毎日自ら主人公(しゅじんこう)と喚(よ)び、復(ま)た自ら応諾す。乃ち云く、
「惺惺著(せいせいじゃく)、喏(だく)。他時(たじ)異日(いじつ)、人の瞞(まん)を受くること莫かれ、喏(だく)喏(だく)」。

『無門関』より




一昨日だったか。

NHKのクローズアップ現代で、

“つながり”から抜け出せない
~広がるネットコミュニケーション依存~

と、題してネット上のコミュニケーションにのめり込み、実生活に支障をきたす人たちのことを放送していた。


ある主婦は洗濯も掃除もせず、一日に8時間もSNSに費やしていた。

医療機関にもSNS依存症外来みたいな所が出来ていて、相談に訪れる人は毎日60人を超えるとか。

その医療機関はひと月先まで予約でいっぱいだった。



なんでもパチンコなどのギャンブル依存と同じような脳の状態になるらしい。




う~ん。

そんなに人と「つながって」いないと怖いのかなぁ?

ちょっと私には分からない感覚である。



もちろん、

「まったく人とつながりたくない」

というわけではない。



100%の理解は当然無理だとしても、私という人間を理解しようとしてくれる人とは喜んで「つながり」たいと思う。



でも、学生時代に特に仲の良かったわけでもないヒトとネット上で再開し交流して、はたして楽しいものなのだろうか???


新たにそこから関係が始まるとしても、私だったらきちんと会って交流したいな。





で。

冒頭の言葉。




瑞巌和尚は毎日、

「おい、主人公よ」

と自分に呼びかけ、

「はい」

「はっきりと目覚めているかね?」

「はい、はっきりしています」


と自問自答したとか。



人は誰でも自分の人生の主人公。

でも真に「主人公」と呼べる人はどのぐらいいるのだろうか。


けっして「わがまま」をするのではなく、しっかりと主体性を持って生きる。


機械や他人に自分の大切な時間を奪われる生き方には真の「主人公」はないと思う。

もちろん他者の時間を奪うような自分勝手な生き方にも「主人公」はないだろう。


バランスよく、「和して同じない」関係を持ちたいものである。


ともすれば自分の「主人公」を失いがちになる私。

自戒を込めて、冒頭の禅語を読んでみる。




ま、ね。


ネットは便利です。

テレビなんかよりよっぽど面白い。



たぶんN○Kさんとしては、

「ほ~ら、ネットは危険ですよ~」

と、啓蒙したかったのかもしれないが・・・。



冒頭の禅語はこう続くのだ。


「ヒトに騙されるんじゃないぞ」

「はい、分かりました」



マスコミの瞞(まん)を受くること莫かれ。

喏(だく)喏(だく)。




ネットもテレビもバランスよく、ね♪

いちばん大切なのは自分自身の「主人公」。





ニャハハ~~~ン♪