なんばグランド花月 昭和62年11月 | 続アメマのおとしもの

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ついに、なんばグランド花月(NGK)が昭和62年11月にオープンしました。
総工費40億円をかけて建設された吉本会館には、吉本興業本社・劇場・スタジオ・飲食店・ディスコなどが入る総合ビル。その中核ともいえるのが、なんばグランド花月。
 
今までの花月のスペシャル版として、昼の興行は漫才・落語だけでなく、世界のエンターテイメントを招いての興行で、興行時間も今までより短め。夜はミュージカルやショーというスタイルを取りました。
演芸のメンバーも故林会長が認めた芸人だけが出演することが出来るという厳しいモノで、当初は「休演や代演の心配はございません」というのも売りの一つでした(すぐにそれを覆すのが吉本)。
 
舞台機構も今までと違って、オートメーション化。かつての花月は映画館を改装したので、舞台奥行きや舞台袖が狭くて、舞台セットの建て込みも大変でしたが、NGKは下手袖に広いスペースを取り、そこに舞台監督を置きステージの進行を統括しています。今は看板さんで「めくり」は復活していますが、開場時はレーザー光線や舞台後方のジャンボトロンで出演者の名前を出すという画期的なモノでしたね。
旧花月では演芸は上手から登場していたのが、NGKでは下手からになったのも細かい情報(笑)
 
そして長年、花月のトリを飾っていた吉本新喜劇は、残念ながらNGKでは当初は上演されませんでした。
 
 
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●上席
NGK杮落しは、やすし・きよし、桂三枝いくよ・くるよダウンタウンのたった4組。もう初日から満員御礼で、やすし・きよしが花月に10日間出番もコレが最後。そして当時「4時ですよーだ」で大人気のダウンタウンまで10日間出番だから、それはもう大変。
この模様は毎日放送で通常興行が放送されました。
ただ中国雑技芸術団や京極社中が長すぎ。
 
 
●中席
杮落し第二弾。阪神・巨人、桂文珍小づえ・みどりに、なぜか当時はまだ吉本所属ではなかったWコミックが出ています。わざわざ、所属芸人以外を出す意図が読めませんが、林会長がお気に入りだったのかもしれません。
 
 
●下席
観客に不適切な発言をしたとの理由で、なんば・うめだ花月を出演禁止処分になっていたサブロー・シローが登場。もうこの頃から吉本に対する不満が募り、翌年退社してしまいます。
 
 
 
全席豪華メンバーだとは思いますが、看板さんしか出ていないプログラムで、新喜劇もない。長年の花月ファンにとってはNGKはなかなか馴染めないモノでした。翌年から演芸の数も増え、吉本新喜劇が「NGKコメディ」として上演される頃まで、私はなかなかNGKに足が向きませんでした。