今日は「恋と革命のインドカリーの日」 | アメコウの家造り日記

アメコウの家造り日記

山梨県甲州市勝沼町にある雨宮工務店の家造り奮闘記。
甲州市勝沼地域のイベントや天気の情報もお届けしています。

こんにちは。

 

今朝の甲州市勝沼町勝沼地域は晴れです。

今日は朝から気温高いです。

暑くなりそうです。

水分しっかり取りましょう。

 

今日は「恋と革命のインドカリーの日」です。

 

1927年(昭和2年)のこの日、東京・新宿に中村屋の喫茶部(レストラン)を開設し、日本で初めて「純印度式カリー」を売り出した株式会社中村屋が制定。

記念日の名前は、創業者の相馬愛蔵(あいぞう)・黒光(こっこう)夫妻の娘・俊子がインド独立運動の活動家ラス・ビハリ・ボースと恋に落ち、1918年(大正7年)に結婚したことをきっかけに、インドカリーが誕生したことに由来します。

 

ラス・ビハリ・ボース(Rash Behari Bose、1886~1945年)は、当時、イギリスの植民地として圧政に苦しんでいた祖国インドを救おうと独立運動を行っていました。しかし、インド総督への襲撃をきっかけに、イギリス政府から厳しい追及を受け、1915年(大正4年)に日本に亡命しました。

日本では、アジア開放運動の志士を守ろうという動きが民間で高まっていたが、日英同盟を結んでいた日本政府は、ボースに国外退去を命じます。ボースを気の毒に思った相馬夫妻は、アジア主義者の巨頭・頭山満の依頼もあり、政府の意に反してボースを中村屋の敷地内にあったアトリエで匿(かくま)うこととなりました。

翌1916年(大正5年)にボースは中村屋を出て隠れ家を転々とするが、その逃亡生活で連絡役を務め、陰で支えたのが相馬夫妻の長女・俊子であった。2人は後に結婚し、2人の子どもを授かるが、逃亡生活の心労がたたり、俊子は1925年(大正14年)に26歳の若さで亡くなってしまった。

当時、日本に広まっていたカレーはイギリスから伝わった小麦粉を使用したもので、祖国インドのカリーとは別のものです。俊子の死後も中村屋と交流を深めたボースは本場のカリーを日本に紹介したいとの思いから、中村屋で純印度式カリーをこの日に発売しました。このカリーは中村屋の名物料理となり、「恋と革命の味」として現在に伝わっています。

 

私はこのカリーを食べたことがありませんが、

いろいろな思いのあるカリーなんですね。

今度食べてみたいと思います。

 

今日も一日頑張っていきましょう(^^♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

励みになりますので、ポチっとお願いします(^^♪

にほんブログ村 住まいブログ 木造住宅へ 不動産・土地ランキング