「塞王の楯」の舞台へ③一乗谷朝倉氏の館跡 | 心にうつりゆくよしなし事を

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興味ある事を、心に浮かぶままに
綴っていきます

男の嘆き、女の悲鳴が町中を覆っている

まるで町そのものが慟哭しているようで

あった


「塞王の楯」の冒頭でそのように

描かれる城下町の遺跡

一乗谷朝倉氏遺跡の続きです


戦国時代にタイムスリップしたような

復原町並みを堪能した私たちが

次に向かったのは下矢印印の場所

朝倉館跡です


三方を堀と土塁で厳重に守られていて

背後の山には守りの要・山城がありました

⬜︎の場所)


朝倉館背後の高台には

実母や側室など当主一族の住居

集まって建てられていました


館の西側にあった正門には

今は唐門が建てられてまして

この門下矢印から敷地内に入りました

「塞王の楯」の序章シーンが

頭に浮かんできました


朝倉家の当主・義景は2万の大軍を率いて

浅井家の救援に向かいましたが、失敗し

逆に織田軍の追撃を受けました


北か南にしか出口がない渓谷の盆地に

造られた城下町に


柴田勝家を先鋒とした織田軍が攻め込み

兵だけでなく民も容赦なく襲われました


町は蜂の巣を突いたような騒ぎとなり

民たちは当主に守ってもらおうと

城を目指して殺到する…


この物語の主人公・匡介

母に手を引かれて

朝倉家の当主が住まう館まで逃げます


しかし門は固く閉ざされ

刀を抜いた武士が人々を近づかせぬ

ように威嚇していました…


この唐門を目の前にすると

その様子がありありと

浮かんでくるようでした


これが下矢印屋敷跡なんですが…

よく分かりませんね(^_^;)タラー


ですが、高台から見ると下矢印よく分かりますOK


博物館で見たミニチュア模型のような屋敷が

この場所に建っていたんですね

主殿、会所、日本最古の花壇、台所

厩(うまや)、蔵などが整然と配されてます


その背後の高台には4つの庭園があり

特別名勝の指定を受けてます


湯殿跡庭園下矢印

縦長の石を多く用い、戦国大名の庭らしい

豪壮で力強い印象があります


現在は枯池ですが、戦国時代には

池に水がたたえられていたそうで

一乗谷で最も古い庭園とされています


湯殿跡庭園諏訪館跡庭園の間に

中の御殿跡がありました下矢印

朝倉義景の実母・光徳院の屋敷跡です

小規模の屋敷と庭園があったそうです


諏訪館跡庭園下矢印

朝倉義景の側室・小少将の館跡

伝えられる場所です


一乗谷で最も大きな庭園

上段と下段で趣の異なる景色が

巧みに造られているそうです


庭園はもう1つ 南陽寺跡庭園があるんですが

写真を撮り忘れました(^◇^;)アセアセ


それらの庭園からも復原町並み

よく見えました

一乗谷を襲った織田軍

これらの家々に火を放ち炎


凶暴化した獣のように逃げ惑う民たちは

この付近にも雪崩れ込んで

地獄絵図のような光景が広がったタラー


そして…


華やかな京文化が花開き

戦国時代屈指の巨大城下町

三日三晩 火を放たれ灰燼に帰しましたタラー


夏草や 兵どもが 夢の跡


松尾芭蕉が平泉で読んだ句が

ふと頭によぎる光景でした


<一乗谷レストラント に続く>




国内の観光したい場所

 

 

 

 

 

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