男の嘆き、女の悲鳴が町中を覆っている
まるで町そのものが慟哭しているようで
あった
「塞王の楯」の冒頭でそのように
描かれる城下町の遺跡
一乗谷朝倉氏遺跡の続きです
戦国時代にタイムスリップしたような
復原町並みを堪能した私たちが
次に向かったのはの○印の場所
朝倉館跡です
三方を堀と土塁で厳重に守られていて
背後の山には守りの要・山城がありました
(⬜︎の場所)
朝倉館の背後の高台には
実母や側室など当主一族の住居が
集まって建てられていました
館の西側にあった正門には
今は唐門が建てられてまして
この門から敷地内に入りました
「塞王の楯」の序章シーンが
頭に浮かんできました
朝倉家の当主・義景は2万の大軍を率いて
浅井家の救援に向かいましたが、失敗し
逆に織田軍の追撃を受けました
北か南にしか出口がない渓谷の盆地に
造られた城下町に
柴田勝家を先鋒とした織田軍が攻め込み
兵だけでなく民も容赦なく襲われました
町は蜂の巣を突いたような騒ぎとなり
民たちは当主に守ってもらおうと
城を目指して殺到する…
この物語の主人公・匡介も
母に手を引かれて
朝倉家の当主が住まう館まで逃げます
しかし門は固く閉ざされ
刀を抜いた武士が人々を近づかせぬ
ように威嚇していました…
この唐門を目の前にすると
その様子がありありと
浮かんでくるようでした
これが屋敷跡なんですが…
よく分かりませんね(^_^;)
ですが、高台から見るとよく分かります
博物館で見たミニチュア模型のような屋敷が
この場所に建っていたんですね
主殿、会所、日本最古の花壇、台所
厩(うまや)、蔵などが整然と配されてます
その背後の高台には4つの庭園があり
特別名勝の指定を受けてます
湯殿跡庭園
縦長の石を多く用い、戦国大名の庭らしい
豪壮で力強い印象があります
現在は枯池ですが、戦国時代には
池に水がたたえられていたそうで
一乗谷で最も古い庭園とされています
湯殿跡庭園と諏訪館跡庭園の間に
中の御殿跡がありました
朝倉義景の実母・光徳院の屋敷跡です
小規模の屋敷と庭園があったそうです
諏訪館跡庭園
朝倉義景の側室・小少将の館跡と
伝えられる場所です
一乗谷で最も大きな庭園で
上段と下段で趣の異なる景色が
巧みに造られているそうです
庭園はもう1つ 南陽寺跡庭園があるんですが
写真を撮り忘れました(^◇^;)
それらの庭園からも復原町並みが
よく見えました
一乗谷を襲った織田軍は
これらの家々に火を放ち
凶暴化した獣のように逃げ惑う民たちは
この付近にも雪崩れ込んで
地獄絵図のような光景が広がった
そして…
華やかな京文化が花開き
戦国時代屈指の巨大城下町は
三日三晩 火を放たれ灰燼に帰しました
夏草や 兵どもが 夢の跡
松尾芭蕉が平泉で読んだ句が
ふと頭によぎる光景でした
<一乗谷レストラント に続く>