一乗谷朝倉氏遺跡の続きです
博物館で朝倉氏の歴史や
一乗谷の事を復習した私たち夫婦は
いよいよ屋外の遺跡巡りに出発しました
このマップの左上に博物館があります
博物館からこのような巡回バスが
出ているんですが
私たちは愛車で復元屋敷跡に移動
途中、下城戸に立ち寄りました
これが下城戸跡です
城下町の玄関口にあたる場所です
一乗谷の北側の谷が最も狭まる場所に
巨石を積み上げた土塁石垣を作って
堅牢な防御施設としていたようです
織田信長の軍隊はこの防御施設を
踏み倒し、城下町へと雪崩れこんで
来たわけですね…
下城戸を過ぎて少し走ると
復原町並の駐車場がありました
駐車場代は無料
この建物が復原町並みへの入場口です
ここにはトイレや休憩所、売店などが
ありました
受付で共通観覧券を見せて中に入るとすぐに
こんな可愛いマンホールを見つけました
復原町並みは約200mにわたる道路に面して
整然と並ぶ町並みを
発掘調査で見つかった塀の石垣や建物礎石を
そのまま使い、出土品に基づいて
忠実に再現されたものです
武家屋敷は周囲に土塀を巡らし
道路に面して門を構え
屋敷内は多くの建物が建っていますが
町屋は建物が直接道路に接し
面積が小さく 裏庭に井戸やトイレ
などがある単純なつくりとなっています
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/048.png)
![!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/092.png)
トイレやゴミ捨て場と考えられる遺構や
排水溝も多く見つかっていて
インフラ整備が完備されていたと
考えられてます
武家屋敷にも上級、中級がありまして
これは上級武家屋敷
礎石の上に4本の柱を立てた
薬医門(やくいもん)があります
礎石の上に2本の柱を立てる棟門(とうもん)
があるのは中級武家屋敷
中級武士屋敷のところで
朝倉宗滴(そうてき)さんと遭遇
一緒に写真を撮ってもらいました
朝倉宗滴は、戦国時代初期に活躍した
朝倉家の軍師です
貞景・孝景・義景の3代の朝倉氏当主を
一族の宿老としてよく補佐し
各地の戦いで武名を轟かせました
あの名将・上杉謙信から
仲良くしてほしい と言われたほどの
人物だったそうです
武家屋敷にあったトイレです
日本で初めてトイレが確認されたのが
一乗谷なんだとか
金隠しが出土したことで
この穴はトイレだと裏付けられたそうです
武家屋敷の中には
このような人形も置かれ
当時の暮らしぶりが分かるようになってます
町の広場の中央に井戸がありました
町屋の人々はこの井戸の周りに集まって
お茶碗を洗いながらお喋りとか
していたのかもしれないですね
遠目から見た復原町並みです
「塞王の楯」の主人公・匡介は
この城下町のどこかで暮らしていたんですよ
そして織田信長の軍勢は
こういう家々を焼き尽くしちゃった
んですよね…
<朝倉館跡など に続く>