今回の沖縄旅行もしっかり城攻めしてきました(笑)
勝連城です(^O^)
沖縄には世界遺産に認定されているグスク(城)が5つあります
首里城、中城城、 座喜味城、勝連城、今帰仁城
今までの沖縄旅行で4つは訪れたので、
今回の勝連城で制覇ですヽ(^o^)丿
まずは、お城下にある休憩所で
お城について情報収集
前回のブログで、ツルおばあさんと記念写真を撮っていたあの休憩所です
所内には、こんな模型が置いてありました
当時は、こんな感じだったんですね~
そして、ここでお勉強した成果がこちら
***************
この勝連城は、琉球王国が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力按司(領主)・阿麻和利(あまわり)の居城として有名です
若くして勝連の按司となった阿麻和利は、
人々からも慕われ、海外貿易によってますます力を付けました。
時の琉球国王・尚泰久(しょうたいきゅ)は、そんな阿麻和利に脅威を持ち
自分の娘・百十踏揚(ももとふみあがり)を嫁がせます。
しかし、阿麻和利は国王の重臣で中城(なかぐすく)城の護佐丸を滅ぼし、さらに王権奪取をめざして首里城を攻めました
が、大敗して滅びました
阿麻和利が滅びたことで、首里を中心とする王権は一段と安定しました
***************
勝連城は、沖縄の城の中でも最も古く
自然の断崖を利用した難攻不落の城と言われていました
Wi-Fiエリア化されているので、専用アプリをダウンロードすると、全25スポットでデジタルガイダンスを楽しめます
つまり世界遺産に認定された5つのグスク(城)の内、唯一IT化されてる城跡なんですよ(^O^)
こんな感じでスマホに表示されます
勝連城は4つの区画で構成されています
二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪と続きます
まずは、四の曲輪にある【ミートゥガー】
かつてこの泉が、男女の逢瀬の場であったという伝説から「縁結びのカー(泉)」と伝えられています。
女性が自由を制限された時代でも、
水汲みは外出する口実になりえたからだとか
さぁ、城攻め開始です
【右旋回の階段】で三の曲輪へむかいます
デジタルガイダンスによると・・・
勝連城の各曲輪を結ぶ石階段は、城壁に沿うように右側から旋回して上る構造になっています
これは敵軍による侵入を防ぐ工夫と考えられています。
階段を急勾配にすることにより侵入者の体力を消耗させ、さらに右手側城壁により攻撃を加えることで、敵軍の機動力と攻撃力を弱める効果があります。
城壁の石垣は、大正・昭和時代の道路工事の石材として持ち去られてしまったそうですが、
三の曲輪の城壁は圧巻
急こう配の階段を上りつめたところです
当時はココにこのような門があったと考えられています。
(デジタルガイダンスより)
4本の柱で屋根を支えているので
四脚門と呼ばれています
三の曲輪から天守閣跡にあたる一の曲輪を
見上げました
二の曲輪に上る階段から見下ろした三の曲輪です
そして、これが二の曲輪
礎石がたくさんあります
首里城正殿のような大きな建物が建っていたと考えられています
現地の案内板にあった図です
二の曲輪から一の曲輪に向かう途中に
ウシヌジガマがありました
【ウシヌジガマ】
「ウシヌジ」には「身を隠し、凌ぐ」という意味で、このガマ(自然洞穴)は身に危険が及んだ時に逃げ込む場所であったと言われています
この洞穴は一の曲輪の洞穴とつながっていて
首里王府軍に勝連城が攻め落とされたとき
阿麻和利はここを抜けて現在の読谷村まで逃げ延びたという伝説が残っています
(デジタルガイドより)
一の曲輪階段です
敵軍に攻め込まれた時の最終防御ラインとしての役割を担っていて、敵が一挙に侵入できないように、上がるにつれて階段幅が徐々に狭まる構造になっています
また、敵の横腹を突いて撃退するなど
少ない兵力でも敵軍と互角に戦える工夫がされています
(デジタルガイドより)
実際に上ってみても、
かなり上りづらかったです(^^;
勝連城内で最も高い、標高約100mの位置に築かれた一の曲輪に到着
眺めはサイコー
周囲360度見渡すことができます!
東には海中道路も見えました
正午ころは厚い雲がかかり、雨も降っていたんですが、ランチを終え再び訪れたら
晴れました~ヽ(^o^)丿
私たちが見学を終えると、再び厚い雲が
かかってきたんですけど、
私たちの見学中は、みるみる青空が広がって、眩しい午後の日差しが燦々と降り注いでくれたんです
阿麻和利さん、歓迎してくれたんですね
アリガトーッ
歩きやすいように木で歩道階段を作ってくれてますが、所々ごつごつした石階段を歩かなければなりません
それに階段もとても傾いたりしてますから
訪れる方は、絶対に歩きやすいスニーカー等で行ってくださいね~