わたしの所有は幻想です | 不登校・家族のお悩み解消カウンセリング

不登校・家族のお悩み解消カウンセリング

娘の不登校からみえてきた自分のあり方や、日々の気づきを綴っています
不登校の問題は、親御さんの家族関係での行きづまり感や、生き辛さとリンクしていることがあります
自分の経験をふまえて、一つ一つ、紐解きながら、軽くなれる法則やあり方をお伝えします


今朝、ふと湧いた言葉

「何にも所有できないけれど

全て与えられている」


普段、私たちの意識って

獲得することが幸福だと感じていますよね

金銭的な経済や

健康な身体や

良好な人間関係などなど


だけど、本当の幸福って

獲得することじゃなかったんですー

むしろ、手放して手放して

空っぽーの中から

勝手に至福が湧いてくる


自我(エゴ)は

身体のことを自分だと思っているけれど

本当は身体の中に、主体となって

コントロールしている主は

誰もいない


そのことに気づくと

あらゆる苦悩から解放されます


なぜかというと

この「私」という感覚が

苦しみの大元だから


苦しみの主な原因は

「私」が「失う」ことだから


私の経済的基盤を失う、とか

私の健康な肉体を失う、とか

私の人間関係を失う、などなど

想像しただけでも、嫌じゃないですか


だけど、それが赤の他人の喪失だったら

そこまで、響かないですよね


つまり、喪失そのものよりも

「私」にとって、という部分が

一番大切なポイントになるんです


ところが

この「私」が幻想だから

本当は所有すること自体がありえない


所有していないのに

所有したものを失くしたと錯覚しては

苦しみの中で溺れているのです


だってね

美味しいものを食べても

すぐにお腹は減るし


欲しい物を手に入れた瞬間に

快感は感じるけれど

もう、次の瞬間には

当たり前になってしまって

それよりも

不快な出来事に巻き込まれたりしたら

あの幸せって、どこにいったんだ?

って言いたくなりませんか?


結婚した時や出産した時の幸福感

今も続いていますか?

思い通りにならないことだらけ、ですよね


実際のところ

獲得が幸せっていう刷り込みがあるだけで

本当に何にも所有できないんです


そして、所有するというストーリーの中で

遊んでいるだけなのです


いまいちピンとこない方にも

死の直前には

所有が幻想だったと

わかるかも


そしてね

実は溺れていなくて

ずっーと、安心な場所に

受容されていたと

何かがわかったときに

(わかる誰かはいない)

全て与えられていることに

気がつきます




なんだー

獲得しようと躍起になったり

欲しい、欲しいと求めなくても

最初から、ぜーんぶ与えられていたー


この欲求不満のないことを

満たされていることを

しあわせというのです


読んでいただいて

ありがとうございました♡