“今を大切に生きる”

“今”とは、いつのことか?



記事119では、それをテーマに考えてみた。



もちろん、結論は出なかったけど、


“今”のとらえ方は、様々である

とわかった。



時は、絶えず流れ去っているので、


厳密には、

“今” という時間は、存在しない

のかもしれない。



それでも、“今”を大切に生きたい。




どうすべきか?




こんな場面を、目にしたことはないだろうか。


例えば、接戦の末に敗れた格闘技の選手が、試合後のインタビューで…


「いやぁ、試合には負けましたけど、

本当に楽しかったです!




例えば、何年にも渡って第一線で活躍してきたフィギュアスケート選手が、引退会見で…


「ここまでやってこれた私は、

幸せな競技人生でした!




マジかよ⁉︎



勝利を目指し、

瞬時の判断で技を繰り出す、

必死で戦う数分間を、


楽しいと思える のか?



押しつぶされそうなプレッシャー。

時には誹謗中傷を受け、

人生のほとんどを練習に捧げた時間が、


幸せだと思える のか?



でも、

決してウソではない

と思う。



どちらの例にも共通するのは、


“振り返ってみた時に” 

楽しかった!

幸せだった!


ということだ。



試合の最中。

練習している時間。


その時々、


つまり、“今” その瞬間に、


「あーっ、楽しいぜ!」

「私って、幸せ!」


と思いながら、戦ったり、練習したりしている選手は、

そう多くはないだろう。



苦しかったり、辛かったり。


逃げ出したかったり、やめてしまいたかったり。



むしろ、

“不幸せ” を感じながら、


がんばっている人の方が多いのではなかろうか。



例え、不幸せな“今”であったとしても、


全力で、やり抜いたこと。


あきらめずに、やりきったこと。




そこまでの達成感はなくても、


粛々と、こなしてきたこと。


つまずきながらも、投げ出さなかったこと。


時々止まりながらも、また歩き出したこと。



そうすることで、振り返った時に、

「楽しかった」

「幸せだった」

と思えるのではなかろうか。



“今” が、必ずしも、

幸せである必要はなくて、


“今” が、常に、

楽しくなくてもいいのかもしれない。



“今を大切に生きる”ということは、

そういうことなのかもしれない。



人は毎日を生きるだけで、

けっこう大変だ。



日々に、幸せの実感がなくても、



人生の終わりに、


「楽しい人生だった」

「幸せな人生だった」


と思えるなら、

それでいいのかもしれない。