令和6年2月歌舞伎座昼の部 新版歌祭文 野崎村 | 癸の歌舞伎ブログ

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令和62月歌舞伎座昼の部 新版歌祭文 野崎村

 

新版歌祭文 野崎村 シンパンウタザイモン ノザキムラ

 

当ブログの過去記事から

 

平成2610月歌舞伎座昼の部 新版歌祭文 野崎村

 

 

新版歌祭文 野崎村 シンパンウタザイモン ノザキムラ

安永九年九月二十八日大坂竹本座初演。近松半二作。二巻構成。実説は宝永年間大坂であった商家の丁稚と主人の娘との間の情死事件らしいが定かではない。先行の紀海音作「お染久松袂の白絞り」、菅専助作「染模様妹背門松」を受け半二が「新版」と銘打って世に出したものである。歌舞伎では野崎村しか上演されない。野崎村以外は戦後一回だけ大坂船場座摩社前が上演されただけである。文楽では座摩社前、長町、油屋、蔵場も時々上演される。文楽では妹背門松も結構な頻度で上演されるので見てるほうは混同しがちである。

今回配役は

中村七之助(お光)、中村扇雀(久松)、片岡秀太郎(油屋後家お常)、坂東弥十郎(久作)、中村児太郎(お染)、中村歌女之丞(久作妻おさよ)、中村芝喜松(お染共およし)。

定式幕あくと百姓久作住家。通常百姓家は常足であるが、中足の二重である。これは二重の手前に設けた縁側に久作が足をおろして灸をすえるからである。この時お光は縁側におりて久作に灸をすえ、久松は二重のうえで久作の肩をもんでいる。これで縁側がないと格好が悪いのである。

お光が暖簾口から出るところから始まるのはいつもと同じであるが、お光が化粧をしたり大根を切りながら指を切るのはせず、大根を切りながら鏡を見て包丁で合わせ鏡をする程度であった。お光の着付けは水色系の地なのは常と変わらないが柄は松葉、ヒイラギ、かえで、銀杏、まつぼっくい。黄八丈の前掛けは常の通り。お染も着付けの地は黒でいつもどおりだが柄は雛菊など。帯は麻の葉模様でいつもの通り。およしの「立てば芍薬」以下の入れ事もいつもどおり。いつもと違うのはお光の母おさよが出るところである。目が見えないので予定通り祝言が行われると信じさせられるが、お染が騒いでばれてしまう。この件は人形の本文にもあるが、歌舞伎では普通出ない。お光が袈裟を見せる際もろ肌脱いだ。お染久松の入りは当然のことながら仮花道は使わず、お染は船に乗って上手へ、久松はかごに乗って向こうへ入る。

 

平成三十一年四月歌舞伎座で坐摩社の場が上演されたのは記憶に新しい。この坐摩神社、文楽でも歌舞伎でも「ざま」と仮名が振られているし、太夫も役者も「ざま」と発音しているが、正式には「いかすりじんじゃ」と呼ぶそうである。ただ神社の方でも通称「ざま」と認めている。

 

今回配役は

 

中村鶴松(お光)、中村七之助(久松)、中村児太郎(お染)、坂東彌十郎(久作)、中村東蔵(後家お常)ら。

 

中村座の定式幕を見せたあと歌舞伎座というか森田座の定式幕。隣柿の木で幕開く。今回仮花道はなし。板付きで村人が状況説明したあとお光出る。久作妻おさよは出ない。繁太夫節が祭文を売りに来るのもない。しかし後で久作は祭文のお夏清十郎に当てて二人を説教する。小助が久松を連れてきて悪態をつくのもないので、久作が一貫五百目を小助にくれてやるのもない。それでもあとで後家お常は久作に三貫目くれる。仮花道がないのでお染が乗った船は上手へはいる。久松のかごは本花道から向こうへ入る。

 

 

野崎観音参道の光田川にかかる橋

 

野崎観音内に作られた石碑