平成29年12月国立劇場歌舞伎公演 隅田春妓女容性 | 癸の歌舞伎ブログ

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平成2912月国立劇場歌舞伎公演 隅田春妓女容性


隅田春妓女容性 スダノハルゲイシャカタギ
初世並木五瓶作。寛政八年正月江戸桐座初演。寛政の改革のあおりを食らって中村座、森田座、市村座の江戸三座がすべて休座していた時期である。桐座は市村座の控櫓として葺屋町で興行していた。ちなみにこの時の興行で初めてそれまでの江戸の伝統であった一興行につき狂言名題は一つ、という原則が破られ、二番目の「隅田春妓女容性」も狂言名題として掲げられた。つまりそれまでは二番目の世話物が一番目の時代物とどんなに内容的関連が希薄でもその一番目の二番目に過ぎないという扱いを(名目上)受けていたのである。
初演時配役は
三世沢村宗十郎(梅の由兵衛)、三世瀬川菊之丞(小梅、長吉)、初世市川男女蔵(金谷金五郎)、初世中山富三郎(おきみ)ら。
初演後は享和元年四月市村座、文化七年三月中村座で大当たりをとったあとは文政三年九月の河原崎座を最後に江戸での上演はなくなり、明治期はなぜか京都で繰り返し上演された。今回上演の台本は大正六年四月東京市村座で初世中村吉右衛門が演じた台本に大部分拠っている。これは黙阿弥の弟子の三世河竹新七が改訂した台本で、大川端で終わりであった。その後初世吉右衛門は大正十四年四月東京邦楽座(丸の内ピカデリーの前身)で、久保田万太郎補綴により梅堀と仕返しを復活した。戦後は昭和二十三年正月帝国劇場で吉右衛門、昭和二十九年六月御園座、昭和三十五年三月明治座で八世松本幸四郎、昭和五十三年九月国立劇場小劇場で当時の沢村訥升が演じて以来、久々の上演である。
今回配役は
中村吉右衛門(梅の由兵衛)、尾上菊之助(小梅)、中村雀右衛門(額の小三)、中村錦之助(金谷金五郎)ら。
序幕は原作の三囲神社、向島大黒屋から新七台本では柳島妙見堂、柳島橋本に改変されている。おかげで幕開きの下座の「どうぞかなえて」がいつも「観音様へ願かけて」だの「明神様へ」だのと替え歌になっているのが原詞章通り「妙見様へ」と唄っていた。
二幕目
蔵前和泉屋。役名からは双蝶々曲輪日記のパロディーであることは明白である。お君は黄八丈。奥座敷では余所事浄瑠璃でひらかな盛衰記の神崎揚屋を使って二階から百両を降らせる。
本所大川端。ここは原作では長五郎と謀った喜助と権七が長吉を追ってくるが、今回は長五郎自ら追ってきた。由兵衛が長五郎を追い払って送っていくと言いながら客席を歩いている内に舞台は居所代わり。長吉を殺して九つ頃に下弦の半月が上ってくるのはいつものでたらめな月の運行より正しいが、本所から大川越しに見えるのは西の空なのでちょっとおかしい。柳橋なら完璧なんだけれども。
大詰
梅堀由兵衛内は五瓶渾身の作とも言われるが、女房の弟を殺してしまったという気まずさが始終支配しているし、源兵衛が悪いやつなのはわかりきっているのにうまい話にあっさり騙される愚かさがちょっとイケてない感じである。河竹新七が省略してしまったのをそう責めることもできない。
仕返し。原作だと伴五郎、十平次、源兵衛、長五郎まとめて泥の中へ切り込んで源兵衛から色紙を取り戻し大団円であるが、今回は源兵衛だけをちょっと切ったところで金五郎、こさん、小梅が駆けつけ、切口上で幕。

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大阪四天王寺にある並木五瓶墓。損傷が激しい。初世は江戸から一旦大坂へ戻るが最後は江戸で没したとされる。