仁義なき戦い 頂上作戦(五)会談 菅原文太没後四年・五回忌御命日 | 俺の命はウルトラ・アイ

仁義なき戦い 頂上作戦(五)会談 菅原文太没後四年・五回忌御命日

『仁義なき戦い 頂上作戦』

 

映画 101分  カラー

昭和四十九年(1974年)一月十五日公開

製作国  日本

製作    東映京都

 

企画   日下部五朗

手記   美能幸三

原作   飯干晃一

脚本   笠原和夫


 

撮影   吉田貞次

照明   中山治雄

録音   溝口正義

美術   井川徳道

音楽   津島利章

編集   宮本信太郎

 

 

出演


 

菅原文太(広能昌三)

 

 

梅宮辰夫(岩井信一)

 

小池朝雄(岡島友次)

加藤武(打本昇)

 

 

三上真一郎(川田英光)

木谷邦臣(和田作次)

 

 

松方弘樹(藤田正一)

 

監督 深作欣二

 

☆☆☆

美能幸三はノークレジット

☆☆☆

 画像・台詞出典 『仁義なき戦い 頂上作戦』DVD

☆☆☆

  台詞の引用・シークエンスの考察は、研究・

 学習の為です。 
 東映様にはおかれましては、ご理解・ご寛

恕を賜りますようお願い申し上げます。

 平成十年(1998年)八月十六日新世界東映

 平成十二年(2000年)十一月四日十三東映

 にて鑑賞

 ☆☆☆

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仁義なき戦い 頂上作戦(三)「頼むよ」 吉田貞次撮影作品

 

 

仁義なき戦い 頂上作戦(四)義西会若頭 吉田貞次撮影作品

 

 広能昌三は藤田正一の義に篤い言葉に感謝する。

藤田は親分の岡島友次を呼びに行く。

 岩井信一は広能・藤田の仲の良さに注目する。打

本昇は不安に満ちた視線を浮かべ、川田英光は眼光

を鋭くする。

 

   岩井「ありゃ昌ちゃんと懇意やったんか?」

 

   広能「中に居った頃知り合うての、ここがイカレとる

       けん面倒見ちゃってたんじゃが、恩返しじゃ

       言うて苦労してくれとるんじゃ。」

 

   打本「のお。岡島が乗らん言うじゃったらの、この話

      は無理に押すことはないっすよ。ここだけの話

      じゃがよ、ここいらのプーヤの胴はこの川田に

      やらしとるんじゃが、岡島のとこでも近頃メッコ

      いれて乗り出しとるげな。味方になってくれるの

      はええが、これらのシマが荒らされるのは詰ま

      らんけの。」

 

   岩井「打本はん、あんたがやで、自分の首、自分で

       守れるような人やったら、わいらも苦労しまへ

       んがな。」

 

   打本「こっちの喧嘩じゃありゃせんので。おう、そっち

      が山守と向き合うけん起きた事で。はよ、山守

      トッて見せんかい!」

 

   広能「のう、岡島はそがな筋の通らんことはしやせん

       よ。」

 

   川田「儂等の事やったら気にせんでええですよ。」

 

  岡島が現れ、「いやどうもどうも」と挨拶し着座する。藤

田も席に再び登場し、岡島の側に座る。

 

   岡島「大方の話はこれから聞いとりますがの、正直

       言うてわしゃ、どっちに肩入れする訳にはい

       かんのですよ。わしゃ、この昌ちゃんとも山守

       組の武田とも盃しとる間ですけん。」

 

   広能「武田から何か言うてきたんか?」

 

   岡島「いや。言うてきても答えは一緒よ。今ここで喧嘩

       して後に何が残るんや?金は使う、若いもんは

       失くすで誰がどう得するんや?儂も一方に傾いて

       反対から恨まれるんはつまらんけえ。のう、山守

       と話はつかんのかのお?」

 

 岡島は打本に触れて交渉は進まないかと心を伝える。

 

   打本「儂は山守と話す用意があるんじゃが、(昌三を見

      て)これが言う事聞かんのじゃ!」

 

   広能「聞かん言うてあんた何を言いよるんか!?

       わしゃ十八年も一緒にやってきて破門喰う

       とるんで!それに今までの経緯を見てみない?

       話のつく側からみんな、寝首掻かれとるじゃな

       い。(岡島を見て)兄弟。そっちもで、黙っちょる

       けん、今でも山守にカスリ取られとるんじゃろ。

       ここで儂等が引いてみいや?山守が黙って

       あんたの事放っておくと思うとんの?」

 

   岩井「岡島はん。あんたがどう思われようと、戦争は

       避けられまへんのや。その際敵か味方かきち

       ィと色分けしとかな、被害を受けるのはおまは

       ん方や。中立やなんや言うたかて、頭に血ィ

       上った若いもんには見境つきまへんがな。ど

       ないだ、ええ返事聞かしとくなはれ!」

 

 岡島は悩む。藤田は静かに退席する。

 

  ☆☆会談が問う和戦☆☆

 

 広能・岩井・打本・川田・岡島・藤田の六者それぞれの

課題がこの会談で明らかにされていく。藤田は刑務所で

世話になった恩を返したいと考えている。肺を病んでいた

自分を助けてくれた昌三は大切な叔父貴だ。

 広能はその義理堅さに感謝している。岩井はその事に

注目する。

 

 菅原文太は此処で静かに台詞を語る。

 

  加藤武が川田の野球賭博の縄張りが荒らされるので

はないかとする打本の焦りを鮮やかに伝え、ここでも笑い

を呼ぶ。岩井の厳しい注意に、広能に責任転嫁して、「山守

をトッテこいや」と責めて、逃げる。加藤武の視線の逃げの

演技がたまらない。

 

 三上真一郎は眼をぎらぎら光らせながら静かに川田の

野望を伝える。

 

 小池朝雄の岡島友次が登場する。平和主義者で優しい

人柄の岡島は、昌ちゃんとも武田とも盃しとる関係だか

ら、戦いを起こして欲しくないし、一方に味方して他方から

恨まれるのは詰まらないから山守と話し合って欲しいと

打本に懇願する。

 

   「今ここで喧嘩して後に何が残るんや?

   金は使う、若いもんは失くすで誰がどう

   得するんや?」

 

 戦争の残酷さを深く問う名言である。笠原和夫が戦争の

残酷さを洞察した教えである。

 小池朝雄が深い台詞回しで聞かせてくれる。

 

 笠原和夫は、「戦争に反対したからといって、戦争に巻

き込まれない訳ではない。大切なのは戦争から逃げる智

恵である」と語っていた。

 亜細亜太平洋戦争・十五年戦争・大東亜戦争では、反

戦活動をした平和主義者が、徴兵された際には最前線に

送られたということもある。

 

 戦争に反対する真剣さは勿論大事だが、戦争を遂行

する体制に憎まれ、戦時には苛酷な環境に立たされる

こともある。

 

 打本はここでも広能に責任転嫁し、観客の笑いを呼ぶ。

 

 広能昌三は遂に怒り、「あんた何を言いよるんや」と

打本の責任転嫁に怒り、山守に十八年仕えて破門を

喰らっているし、これまでの経緯を見ても話しのつく前

に山守の策謀によって寝首を掻かれているではない

かと問い返す。

 

 この怒りの言葉は、広能のこれまでの道を集約す

る深さがある。カスリを取られている岡島に山守の

恐ろしさを警告する。

 

 岩井の恫喝により、岡島は味方せざる得なくなる。

 

 このシーンの辰っちゃんは怖い。

 

 無言の松方弘樹が渋い。

 

 岡島の理想的平和主義は、戦争が迫る中、方針

変更を余儀なくされ、それでも平和を貫いて、彼は

犠牲になる。

 

 笠原和夫の平和主義を見る目は厳しく切ない。

 

 岡島は明石組系の広能・岩井・打本グループ対神

和会系山守・武田・槇原・早川グループの闘争・対立

に悲しみを覚え、何とか話し合いによる平和を成就し

て欲しいと願うが、岩井に中立を許されず、味方にな

ることを約束するが、山守の罠に嵌り、尊い命を散ら

す。

 

 平和を願うということは、岡島のように、平和の為に

命を捨てる勇気を持つことなのかもしれない。

 

 『刑事コロンボ 断たれた音』の日本初放送は昭和

四十八年(1973年)十一月二十五日だ。五十二日後

の昭和四十九年(1974年)一月十五日に本作『仁義

なき戦い 頂上作戦』が公開された。

 

 小池朝雄は、クレイトンを嵌めるコロンボの声を語り、

仁義に命を燃やす岡島を熱く勤めた。その至芸に改

めて敬意を表したい。

 

 菅原文太は広能昌三を生きて、生涯の大切な課題

として平和主義を掲げ、憲法第九条の守護を熱く語っ

た。

 

 平成二十六年(2014年)十一月一日沖縄県において

菅原文太は沖縄県知事選挙に立候補した翁長雄志の

応援演説を語ったが、『仁義なき戦い』ラストの広能昌

三の台詞「山守さん。弾丸はまだ残っとるがよぉ」を引用

した。

 文太の応援は、翁長雄志にとって、嬉しい出来事で

あったと思う。同月十六日知事選は投開票が行われ、

翁長雄志が勝った。

 

 その十二日後の十一月二十八日に菅原文太は八十

一歳で死去した。

 

 

 文太の応援を受けて知事選に勝利し知事となった

翁長雄志は、沖縄の痛みを世界に伝え、「米軍基地を

沖縄に作らせない」のメッセージを語った。平和の為に

全ての情熱を燃やした。

 

 平成三十年(2018年)八月八日翁長雄志は六十八

歳の若さで死去した。

 九月三十日の沖縄県知事選挙で翁長雄志の後継

候補玉城デニーが当選した。

 

 玉城デニー知事が語る、「沖縄に米軍基地を作らせ

ない」の声に学びたい。

 

 菅原文太・翁長雄志の絶対平和主義に現代日本・

亜細亜・世界にとっての理想的な道があると思う。

 

 五回忌御命日の今日、文太師の教えに学びたい。

 

 菅原文太は、最後まで広能昌三の命を生ききっ

た。

 

 平成三十年(2018年)十一月二十八日

 

 

                            合掌

 

                       南無阿弥陀仏

 

 

                            セブン