百年河清(かせい)を俟つ『左伝』 | 日日是好日のブログ

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団塊世代、毎日が日曜日となり晴耕雨読の生活に入ったのを機に、学びは生涯現役でありたいと始めたもので、生活の一部を切り取っていきたい。

 百年河清(かせい)を俟つ『左伝』

 ありえないことを期待する、との意。「河」とは、黄河のこと。黄土地帯を流れるこの河の水はつねに濁っており、たとえ百年待とうと澄むことはありえない。
 春秋時代、楚の攻撃を受けた小国の鄭では、降伏すべきか隣国の晋に援軍を求めて抵抗するかで、国論が分かれた。このとき、晋の援軍などいくら待っても当てにならない、という意味で、降伏論者がこのことばをたとえとしたのである。
 いくら期待しても実現の見込みがない、そんな例はいろいろあろうが、他人からの援助ほど当てにならないものはないようだ。(丹羽 隼兵著「中国古典の名言」より)