遠慮なければ必ず近憂あり(論語) | 日日是好日のブログ

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団塊世代、毎日が日曜日となり晴耕雨読の生活に入ったのを機に、学びは生涯現役でありたいと始めたもので、生活の一部を切り取っていきたい。


 「遠慮」とは、気兼ねのことではなく文字どおり遠き慮(おもんばか)り、つまり先々を見通した心くばりのこと。遠いところまで見通して対策を考えておかないと、近いところで足をすくわれることになる、というのである。
 目先のことにとらわれがちなのは人間の通弊、とりわけ順調な状況にあるときほど、将来への心くばりはおろそかになりやすい。個人に限らず、組織にも同じことがいえるが、では、どのへんまで見通しを立てておくべきなのか、二、三年先か五年先か、あるいは二十年三十年後といった遠い将来か、その判断もまた非常にむずかしい。(丹羽 隼兵著「中国古典の名言」より)