図書館から借りて読み終えられず「敗北の歴史」
となった本がウンベルト・エーコの「プラハの墓」
だが後になってこの本は陰謀論や偽情報がどのように作られ
広がるのか、、といったまさに現代に通じるテーマであること
を知って、頑張って読んでおけば良かったと今思う
(なかなか集中できない本だった記憶がある)

その中で扱われる「シオン賢者の議定書」
これは有名な偽書でユダヤ人が世界制覇を企んでいるとする内容で
ヒトラーの暴走のキッカケとなったとされている

少しばかり深刻なのは、このような偽情報が現代でも
思いのほか広がっているということ
ディープステイトとかQアノンとか一部の人の間では
共通認識になっている(今でも)
そしてそれらに対する正義感による怒りであるが故に
自身は間違っているとは思えないでいる

日本にも偽書と思われる本はあるようで
竹内文書とか『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)
先代旧事本紀などがそれに当たるとされている

ただ困るのはそれらの本は、想像力を刺激してなかなか面白そうなのだ
先代旧事本紀などは、ニギハヤヒがニニギのミコトより早く
地上に降りてきたとするもので、ニギハヤヒは物部氏の祖先としている
所謂とんでもない本に入るのだが、人は自由な想像の世界からの誘惑には
抵抗できないと思えてしまう

これらを無闇に信じないためには実は専門書を読むと良いとされる
代々伝わってきたとされる竹内文書は使われている文体が現代的
であるために、古代に作られたものではないと判断されているようだ

また津田左右吉の古事記とか日本書紀についての考え方は
わからないところはわからない、、として、
無闇な想像力を駆使することは良くないとしているようだ
(海外の日本についての記録を参考にすべしとしている?)

さて現代の社会は、あまりにもナラティブとされる主観による語りが
幅を効かせすぎているように思われる
極端な例を挙げるならば、自分たちが報われないのは富を独占している
ズルい奴らがいるためだ、、という発想がそうだ
ただ不思議なのはその怒りの対象が資本主義(金融資本主義)
などの制度の矛盾に向かわずに、特定の団体やら個人に向かっていることだ

難しいことを考えるより、敵を作るほうが手っ取り早い
敵を設定することで、攻撃対象がはっきりし、それに攻撃をくわえてスッキリする
最近のSNSの世界はその世界のようだ
SNSの収益を調べると、過激な言葉の羅列は注目が集まりやすく
ついついそれらの言葉が使われるそうだ

確かにとても違和感を覚える事象がある
それは政治系のYouTubeの視聴数(再生回数)が短期でとんでもない数字で
見られていることで、日本人の投票率を考えると、その数字は異様としか思えない
そこにはエコーチェンバーなどと言われる解釈では収まらない何かが
あるような気がしてならない

ということで、話はあっちこっち飛んでまとまりがないが
つまりは、いろんな変なことが世の中におきているな!
と感じるということ
昔も同じように変なことは同程度に起きていたのだろうか?

まとまらない話