選挙期間になると市長・市議会議員候補を問わず
地元のために働きますと宣言する
その候補者の応援には国会議員も駆けつける
国会議員はこうした機会を見つけ、フットワークが軽くないとダメだ
候補者の応援するように見せても、彼らはしっかり自分のPRは忘れない
ところで、国会議員も市議会議員も地元のために働きます
というのは、具体的にはどういうことなのだろうか?
端的に言えば、彼らは地元にお金をもたらします、、
と言ってるようなものだ(と想像してみる)
でも国会議員は立法府で行政のお金を自分たちで使えるわけじゃない
何か法整備をしたり、お金の近い方をチェックするのが本来の仕事だ
市議会議員はなおのこと、お金の使い方を提案する権限は首長だけが持っていて
市議会議員は首長の提案したお金の使い方に、イエスかノーかを意思表示するだけだ
そんな中、地元のために頑張りますというのは、どういうことかを考えると
国会議員も市議会議員も口を利いてくれて、庶民が望んだ事業のお金がいくらか出て
何かの作業がなされるということと思われる(庶民はこれを望んでいる?)
市民(国民)に選ばれた人だから市職員(官僚)は議員の要望を無視はできない
特に何回も連続して当選している古株の議員のいうことは
仕方なく聴くことがあるかもしれない
でも、もう少し考えると少し変なことに気がつく
国会議員が地元のインフラとか事業に補助金を持ってきたとすると
国の補助金は限界があるので、同じように各地域で要望された者
(議員)同士の戦いになる
道を整備したくても、ある政治家のいる地域はすんなり、
そうでないところはなかなかというのが現実だ
民主主義は民意が反映されない制度だと言った人がいるが
政治家に働きかける力の強い人(企業献金できる人たち)の意向は反映されるが
(一見正義っぽく見えても)力のない庶民の思いは反映されないということだ
となると、そもそも自分たちが都合の良いお金をもたらすように要望する
ということ自体が変なのでないか?ということになりそうだ
皆んなのために公平に、また効率良く、、というのが基本だが
実際の社会はこんなふうに行かないで、結局は地元にお金を持ってこれる
政治家が重宝される
建前ではそれでは良くないとされても、現実はここから離れるのは難しい
市民とか国民が、広い意味での公益を考えて優先順位がそれほど上位に
ならなくても我慢できると良いかもしれないが
生活がかかっている企業はそんな悠長なことは言ってられない
ということで、市長・市議会選挙の真っ只中の今
地元なために頑張ります!ということの実態と、
その奇妙なことが気になったので取り上げてみた
人間社会はつくづく難しい
法ではとてもコントロールしきれないように思えてならない
(人格といったものが適切に働いてくれると良いのだが)