小学校の1年か2年くらいの頃だろうか。
わたしは熱を出して寝ていた。
夕方、ジィジが寝室のコンセントを修理しに来ていて、
祖父はわりと腕の良い電気工で、
わたしは布団に横になったまま黙って流れるような祖父の仕事さばきをうっとり見ていた。
そのうちなんだか体が小刻みに震え出し、
震えがとまったら高熱で痛かった頭も気持ちわるさも楽になり、
ふわふわと気持ち良くなって、
だけどなんだか口がきけなくてぼんやりみんなのこと見てた。
お母さんが台所から祖父に「おとーさん、郁乃の熱計ってあげて」と声をかけ、
祖父はわたしの脇の下に水銀の体温計を挟み砂時計を逆さにしてバッチリ!と言った感じでこちらを見て頭を撫でた。
3分経って祖父は『どれどれ^_^』と体温計を見てくれたのだけど、
『…ん? 熱、ないぞ、0度だ^_^』なんてアホなこと言って、
母が台所から来て「もぉ!そんなわけないでしょ!」と祖父の手から体温計を取り…、
「…え?あら、ほんとに0度…」と言いかけて「違うよ!これ!振り切ってる…」と言いながらもう体は冷蔵庫へ向かい(体温計の目盛りは42度までだった。)ありったけの氷とアイスノン、水枕を持ってわたしを冷やし出した。
祖父はただ右往左往していた。
それからしばらくの間わたしは眠ったのかな…
あまり覚えてないのだけど、
母はあちこちへ電話していたようだった。
気づくと祖母もいた。
ひいばぁちゃんも、叔母も、友達のお母さんも氷やアイスノンを持って来てくれていた。
みんなに囲まれてわたしは熱を計っていた。
37度台になっていて、
一同、肩の力がぬけるのがわかった。
あの時の、
母の気持ちってどんなだったろう…
わたしは母に対してずいぶん反発した。
ろくな母親じゃないって思ったりもした。
エキセントリックで、
ヒステリックで、
人の話しは全く聞かないし、
こんな母親の子じゃわたしもろくなもんじゃない…と度々思ったり…。
母は許容範囲がせまい。
すぐに溢れる。
(言えば言うだけ自分のことみたいだ…)
だから子供の頃は静かに、
わたしはいつも母の機嫌を伺っていた。
中学生くらいから沸々と溜まっていたものが抑えきれなくなる。
母も負けてなかった。
ひと言自分の意見を返したら、
生意気だと生卵がとんできたり、
掃除機で殴られたり、
死んでやる!と飲めないお酒飲んで倒れられたり、
走行中の車から飛び降りて森へ消えてしまったり台所に立て篭もったり…。
まったく、うんざりだった…。
子供の頃からよく叩かれた。
ヒステリーになり気がふれたようだった。
だけどつよい愛情も注がれていた。
わたしは自分の気持ちよりも母の機嫌を優先するようになった。
そんなわたしはきっとろくな母親にならないだろうと思ったり、
今も自信はない。
(↑人のせいにしてる^^;)
わたしは親から虐待を受けたことはないが、
教師からはあったかもしれない。
例えば、
虐待を受けた子は自分の子にも虐待をしてしまう、
とかって、誰が言ったのか…。
そんなことは関係ない。
人は因縁を笑いに変えられる生き物なのに、
そんなこと断言されるとそうなるからもう少し頭と心を使って発言してくれと思う。
と言いながらそういう専門家とかいう人の言ってることを気にしてきたわけである。
今言っておこう、
親と子、は、関係ないのである。
それに虐待虐待って言い過ぎだとも思う。
家族なんて体当たりだ。
現実に虐待があることを知るのは耐え難い…
それでも攻めたり否定したりなくそうなくそうとする力では増幅させるだけかもしれないと思う。
話がそれてしまったが、
わたしも息子を叩いてしまったことがある。
叩いていいとは思っていない。
大きな声もあげた。
死んでやると言って飲めないお酒を飲んで倒れたりはしないが行方はくらました。(←婚前)
森に走って消えたりはしていないが、
最後の曲を歌い終わりステージから飛び降りそのまま走り去り消えた。
台所に立て籠もったことはないが、
2歳の息子の色々を受け止めきれず発狂しそうになって脱衣所に篭った。
息子はドアの前で泣いていた。
母とそんなに変わらない…。
(だから専門家は同じことをするようになると言ったでしょ?と言うだろうがそういうことを言うとそうなりがちよ種まかないでと言っておく)
わたしは絶対にお母さんみたいな子育てはしないと思えば思うほど同じようなことをしていると自分をせめた。
(そもそもこれが思う壺なのだけど)
というのを繰り返すわけだ。
これが因縁だろう。
同時に、
あのときどきの母の気持ちも、
なんとなく知るのである。
ヒステリーになってしまったとき、
思わず叩いてしまったとき、
子供が高熱のとき、
夫婦喧嘩のとき、
若かった母の気持ちも思うのである。
がんばってたんだなって、
ひとりで心細かったんだなって、
わたしのこと大事すぎたんだな、
ものすごくわたしを愛していたんだな、
自分を責めてしまっていたんだなって、
知るのである。
(余談だが、
母は自分の親に育てられていない。
そのことにとてもコンプレックスと罪悪感を持っている。
わたしの知っている祖父は祖母の再婚者で、
祖母は母が社会人になった頃再婚した。
本当の父の記憶はない。
昔の離縁は周囲からの偏見が厳しく、
母は祖母とは一緒に暮らせず離れて育った。)
わたしが高熱のとき、
わたしは不安を感じたことが一度もなかった。
母はよく看病してくれていたんだなって思う。
おねしょもけっこう大きくなるまでしていたけど、
叱られたりせめられたり隠されたりしたこともないからふつうのことだと思っていた。
それについては未だ罪悪感を感じたことがない。
多少叩かれたって、
怒鳴られたって、
いいんだよ。
ぜんぶひっくるめて愛だった…。
そんなにダメダメ言って、
ダメダメ探して、
わたしたち何になりたいのだっけ?
デコボコだからいいんじゃない?
って自分に言いたい。
地球が色んな人型でできたジグゾーパズルに見えるよ。
それぞれがデコボコだからまぁるくなれる。
この記事を読んで、
誰かが母に、「台所に立て篭ったんですか?!」ってびっくりしたり引いたりしても、
『えぇ、立て篭もりました。
頭にきて娘が学校へ行っている間に娘の部屋の物をぜんぶ外に出してやったこともあります。
勉強机もですよ。』と、
七十を過ぎたとは思えない綺麗な顔で、
誇らしく言い放ってほしい。
母さんは、母さんなのだから。
ううん、
せつこは、せつこなのだから。
だからわたしはわたしなのだから。
せつこの愛を一身に受けたわたしの愛はきっと重いだろう。
この記事を、
昨日41.3度の熱を出して今眠っている息子の横で書いている。
息子よ、
ちゃーちゃんの愛に縛られずに行きなね!
もし縛られたらぶった切って行くんだよ。
って起き抜けの息子に言ったら、
あっさり「うん、そうする。」と返ってきた。
熱も下がったようだ。
ふふ。
ありがとう。