妙高山と反対側の山
わたしが育った妙高山サイドがリゾート地なら、
反対側は里山
使われていない棚田が目立つ
50~60年くらい前だろうか、
建築や土木用に植えられたと思われる杉が、
今は使われずに伸びすぎ、
そのため鬱蒼としている。
山深く、
雪深く、
Uターンなく、
高齢化、
この数十年で山を降りて暮らす人が相次ぎ、
廃家だらけ。
暗い。
ずいぶんと小さな集落になった。
そんな村に数年前、
若者は移住した。
「できるだけ僻地がいいと思った。」
そんなことを言っていたっけ。
「なぜ?」と、聞いたかは覚えていないが、
ずっとなぜなのかを思っていた。
この山に触れることで、
どうして“できるだけ僻地”なのか、
今はその感覚を少し感じられているような気がしている。
木が伸びて鬱蒼としていて、
廃家だらけ。
暗くて豪雪で年々人は減っている。
この、まったく未来が無さそうな状況に、
拒否反応があった。
今はこの状況にこそ希望を思い、
未来を感じ、ワクワクさえしているのだから、
まったく、
現金な人というのはわたしのような人のことだろうか…。
“ここ”は今、
とてもシンプルなんだね…。
この小さな集落が、
キラキラと宝石箱のように思う。
薪を割る音が、
カーン…と遠くへ響く。
その音を聞きながら、
採ってきた山菜をありがたく料理する。
わさび菜は醤油漬け
フキノトウはフキ味噌
甘草は酢ミソ和え
アサツキはペペロンチーノ、
タネツケバナを最後に添えた。
このシンプルな集落で、
シンプルな心と体を持ち、
シンプルな目線で、
それ以外はあまり持たず、
慎ましく、
暮らしていきたいと思う。