人間が社会的動物である限り続く悩み | つれづれなる日々

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忘備録や頭の整理に書いていきます♪

私はいわゆるHSP気質と言われる繊細さんで

内向的なタイプの人間です。

 

昔から、他人への興味関心が薄く

今も子供のお友達のお母さんなど顔も名前も

すぐ忘れてしまう(覚える気がない)社会不適合者です。

 

生きている限り人間ですから、家族など人間と

コミュニケーションを取る機会があるのは当然なのですが

地味に毎日ストレスという名の負荷がかかってます。

 

だからと言って、一生ひとりというのも嫌だという

矛盾している相反する気持ちがあります。

 

人間の悩みの9割が人間関係と言いますが

本当にその通りだと実感する毎日です。

生きている=生活している=人間関係と言っても過言ではない。

 

キリスト教に原罪という概念があり女は産みの苦しみを、

男は働く苦しみを背負わされたというけど

(この時点で昨今の晩婚化や非婚化、働きたくない、子供が欲しくない

という感覚は罰ゲームという観点で割と自然な気持ちなのではと思ってしまう)

 

それよりも、人間が社会的な動物であるということ自体が

生まれてから背負わされている罪だと思いながら暮らしています。