更年期と闘う専業主婦です。
家事や収納、オススメ商品など
日々の生活の色々をつぶやいています。
私が経験した毒親との絶縁までのお話も書いていきます。
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今夜で終了!
まるです いつも有難うございます。
先日書いたこちらの記事で
うちの五徳がこんなになったワケを、また書きますね~って事で
今日は7~8年前のことを書いてみたいと思います
当時、私は日に日に息苦しくなり浮腫みで身体がパンパンになってしまい
緊急入院して主治医から3回目の余命宣告を受けました
「このままいったらあと半年しか心臓が持ちません」と言われ
新しい治療を薦められていたのですが
(身バレ防止に病名、治療については伏せます🙇)
その治療とリハビリの為には数ヶ月入院しないといけなくて
夫の仕事は多少考慮してもらったとしても、帰りは夜の8時を確実に過ぎる
この時点で緊急入院して3日ほど経っていました
まだ小学生だった娘をこれ以上家に1人残すのが不安で
治療を受けるのを拒んで「帰らせてほしい」と伝えていたんです
正直、もう毎日思うように動かない身体と息苦しさが辛過ぎて
家族に対して無責任だし、命を軽視しているように思われる事も覚悟の上で
「ここまま行けばあと半年で終われる」って思う気持ちもありました
もちろん、薬だけで何とかしてほしいとも伝えていましたけれど・・・
でも毎日のように病室に主治医がさらに上の先生を引き連れて来ては説得され
夫にもメールで治療を受けるよう懇願されて
ママ友たちはLINEで「大丈夫!協力できることがあったら言ってね」と励ましてくれる
みんな家庭の事やパート等々で手一杯のはずなのに・・・
最終的には昔からお世話になっているかかりつけ医院の先生にまで
主治医から連絡が行って、かかりつけ医からも説得され
どこまでも面倒な患者だった私もついに折れて治療を受け入れることになりました
でもそうなると娘の日々の生活が気がかり
義父母も心配してくれるけれど、何せ飛行機の距離
簡単に「来てください」とは言えず
もう頼れるのはあの人しか居ない・・・
仕方なく、看護師さんにお願いして携帯電話が使える談話室へ連れて行ってもらい
そこから母に電話をしたのでした
すると母は
「あら~困ったわねぇ、マル雄のご飯もしないといけないのにコマルちゃんのご飯まで?」
「ごめんなさい、夫が早く帰れる日と休みの日は大丈夫だからそれ以外の日にコマルにご飯作ってあげてもらえないかなインスタント物ばかりだと心配だから」
「アンタ退院するまで何ヶ月掛かるのよ?大変よ~そんな長い間」
「多分3ヶ月くらいかな、コマルに電子レンジの使い方教えておくし、お母さんが来るの無理な日は事前に言っておいてもらったら何とかするように言うから、お願いします」
「仕方ないわねぇ、アレよ、食費!食費ちゃんと置いて行ってよ
」
「分かってる、夫から渡してもらうようにするから」
結局、緊急入院から退院する事なく私は治療に突入したのでした
わー・・・まだ全然五徳出てこない
それどころか母まだキッチンに入ってない
毎度長くてごめんなさい
つづく
ではまた~
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