こんにちは
お盆休みを終え今日からお仕事って方がほとんどかと思います。
お盆は、そもそも生あるもの(生きているもの)がご先祖さまに感謝の意を伝えるためにお墓参りや仏壇に手を合わせたり或いは盆踊りをして感謝をあらわす日をいいます
そのために、郷里に帰られた方もいらっしゃると思いますが私自身、生まれも育ちも
福岡・博多です
(なお、これは私観に
基づいていますのでご了承下さい)
福岡県は、
大きく4つの地域に分類されます
・福岡地域 … 商業の街
・北九州地域 … 工業の街
・筑豊地域 … かつては炭鉱の街
(炭鉱の名残として今はお菓子の街!)
・筑後地域 … 農業の街
(福岡の農作地帯であり、
福岡産海苔が採れる有明海もこの地域!)
人口が500万人を突破九州最大で年々人口が増加している。(都市への人口流入によるもの)
かつては、九州の玄関口といわれましたが
、韓国、中国などアジアと近いところから
、海外との窓口としてアジアからの観光客
、ビジネスマンの往来が多い。
・これは、私の私観ですが全く知らない人とでも臆することなく、ウェルカム!と気さくに接する人間性
・義理と人情にあつい
・ややラテン系
サッカーより野球の県民性
福岡県人との
ビジネストークは野球の話題は必須
名物は、明太子をはじめ豚骨ラーメン
、イチゴ、タケノコ、玄海灘の豊富な魚
、お茶I、海苔 等々
これは、福岡県を訪れる方が口を揃えて言われますが食に関する物価がとにかく安い!
歴史
(#博多祇園山笠、#聖一国師、#静岡県)
福岡・博多の歴史といば、博多祇園山笠!
博多の山笠の歴史は古く、1241年(仁治二年)、宗より帰国した
聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)
が、疫病の蔓延していた博多の町を町民達が担ぐ施餓鬼棚(せがきだな)
と呼ばれる精霊棚(しょうりょうだな;お供え物などを飾る棚)に乗り、水を撒いて疫病退散の祈願をしながら町を清めて回った。これが祇園の信仰と結びつき、施餓鬼棚が形を変え装飾が施され今の博多祇園山笠になりました。
櫛田神社のお祭りである山笠
が聖一国師が創建した承天寺に奉納するは
、博多の町を救ってくれた聖一国師に対す
る感謝の意と見守ってくださるようにとい
う祈願からということです
また、聖一国師の命日には毎年博多から生まれ故郷の静岡県(静岡市葵区)にお参りをしています
更に静岡県とは、
・共にお茶の生産地である
国師が宗からお茶の種子を持ち帰り栽培を始めた地が静岡とされていて、後に承天寺創建に赴いた博多の南部で茶の栽培をはじめたのも国師によるものとされる。(八女茶)
・静岡空港開港時、最初に決定した路線が福岡
・サッカー(藤枝ブルックス)が福岡に移転して
アビスパ福岡
静岡県と福岡県は、知る人ぞ知る密接な関係にあり、特に生粋の博多っ子は静岡県人を大事にされることを知ってもらいたい
他にもあるとは思いますがそれはまたの機会に
それから、静岡をもりあげようと頑張ってるもりあげ隊 隊長のブロガーさんがこちら、
うん、うまいじゃん
バン
ジュウローさん!
今日はこれまで
次回をおたのしみに
長々となりましたが、お付き合いくださりありがとうございました
ブログを紹介し合って人気ブロガーになれる
【アメクリップ】
お盆休みを終え今日からお仕事って方がほとんどかと思います。
お盆は、そもそも生あるもの(生きているもの)がご先祖さまに感謝の意を伝えるためにお墓参りや仏壇に手を合わせたり或いは盆踊りをして感謝をあらわす日をいいます
そのために、郷里に帰られた方もいらっしゃると思いますが私自身、生まれも育ちも
福岡・博多です
今日はわが街
福岡県
について少し触れてみようと思います(なお、これは私観に
基づいていますのでご了承下さい)
福岡県は、
大きく4つの地域に分類されます
・福岡地域 … 商業の街
・北九州地域 … 工業の街
・筑豊地域 … かつては炭鉱の街
(炭鉱の名残として今はお菓子の街!)
・筑後地域 … 農業の街
(福岡の農作地帯であり、
福岡産海苔が採れる有明海もこの地域!)
人口が500万人を突破九州最大で年々人口が増加している。(都市への人口流入によるもの)
かつては、九州の玄関口といわれましたが
、韓国、中国などアジアと近いところから
、海外との窓口としてアジアからの観光客
、ビジネスマンの往来が多い。
・これは、私の私観ですが全く知らない人とでも臆することなく、ウェルカム!と気さくに接する人間性
・義理と人情にあつい
・ややラテン系
サッカーより野球の県民性
福岡県人との
ビジネストークは野球の話題は必須
名物は、明太子をはじめ豚骨ラーメン
、イチゴ、タケノコ、玄海灘の豊富な魚
、お茶I、海苔 等々
これは、福岡県を訪れる方が口を揃えて言われますが食に関する物価がとにかく安い!
歴史
(#博多祇園山笠、#聖一国師、#静岡県)
福岡・博多の歴史といば、博多祇園山笠!
博多の山笠の歴史は古く、1241年(仁治二年)、宗より帰国した
聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)
が、疫病の蔓延していた博多の町を町民達が担ぐ施餓鬼棚(せがきだな)
と呼ばれる精霊棚(しょうりょうだな;お供え物などを飾る棚)に乗り、水を撒いて疫病退散の祈願をしながら町を清めて回った。これが祇園の信仰と結びつき、施餓鬼棚が形を変え装飾が施され今の博多祇園山笠になりました。
櫛田神社のお祭りである山笠
が聖一国師が創建した承天寺に奉納するは
、博多の町を救ってくれた聖一国師に対す
る感謝の意と見守ってくださるようにとい
う祈願からということです
また、聖一国師の命日には毎年博多から生まれ故郷の静岡県(静岡市葵区)にお参りをしています
更に静岡県とは、
・共にお茶の生産地である
国師が宗からお茶の種子を持ち帰り栽培を始めた地が静岡とされていて、後に承天寺創建に赴いた博多の南部で茶の栽培をはじめたのも国師によるものとされる。(八女茶)
・静岡空港開港時、最初に決定した路線が福岡
・サッカー(藤枝ブルックス)が福岡に移転して
アビスパ福岡
静岡県と福岡県は、知る人ぞ知る密接な関係にあり、特に生粋の博多っ子は静岡県人を大事にされることを知ってもらいたい
他にもあるとは思いますがそれはまたの機会に
それから、静岡をもりあげようと頑張ってるもりあげ隊 隊長のブロガーさんがこちら、
うん、うまいじゃん
バン
ジュウローさん!
今日はこれまで
次回をおたのしみに
長々となりましたが、お付き合いくださりありがとうございました
ブログを紹介し合って人気ブロガーになれる
【アメクリップ】