あすか の〝本日、お散歩日和〟

あすか の〝本日、お散歩日和〟

ウォーキングイベントを中心に、四季折々の出来事や風景を思いつくまま掲載したいと・・・
「そこ私も行った事あるよ」 みたいに気軽にコメントを頂ければ嬉しく思います。
尚、ブログ更新は不定期ですのでよろしくお願い致します。 遊歩人 あすか

2024年9月21日(土)

脊柱管狭窄症3回目の発症から早いものでまもなく2年を迎えてしまう。

狭窄症の手術は成功?したものの術後、椎間板ヘルニヤの併発。

 

約2年間、長距離を歩くこともなくほとんどが自宅内と周辺の歩行。

長距離は電チャリでの移動。

衰えた下半身の筋肉強化のためと、お馴染み「ステッパーナイスデー」と言う製品を家電量販店にて購入。

使い方はいたって簡単、日常の歩行と同じくステッパー上でただ足踏みをするだけです。

しかし、簡単に思えたが、はじめは軽く感じたステップが結構重くかなりハード。

慣れるまで一日1分(30歩)~5分(150歩)と取り扱い説明書き。

説明書同封の「東海道五十三次」を一日10分(300歩)で1マス進む。

経験者もおありと思いますが、太ももへかなりの付加を感じる。

現在、一日5分150歩を2回に又は3分100歩×3回に分けて挑戦中 !!

 

 

 

 

2024年8月23日(金)

 

今年の夏は早くから記録破りの極暑続き 9月に入ってもまだまだ続くという。

夏恒例の甲子園第106回高校野球大会。猛暑を避け試合も午前と午後夕方から開催。

今日が決勝戦。わが母校は久しぶりの出場でも惜しくも3回戦で敗退。

野手のケガ防止に金属バットの反発力の規格が変わりました。試合中5回戦終了後10分間のクーリングタイムこれも温暖化の影響。

自分の時代は、もちろん金属バットなどではなく木製のバットで木目を牛の骨で整えていた。

もちろんヘルメットも簡易的なもの。TV画面を眺めながら当時の懐かしい場面が脳裏をよぎった。

 

 

 

往年の剛腕投手 栃木県作新学院の江川卓さんの始球式

(いずれもTV画面より)

 

 

 

 

 

 

 

 

サルスベリ百日紅(ひゃくじつこう)の紅白の花

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから本題です

私のブログの左サイドのバナーが昨日突然消えました

このバナーは、自分が歩いた場所の写真をバナーとして作成したもので、フリースペースも元に戻っていて左サイトへ再設定し真っ白のフリースペースに際登録。

しかし、新しく登録したサイドバナーをクリックすると「〇〇村」の広告閲覧の要請画面が出てしまい消すことが出来ません。突然の画面変更に戸惑いを感じています。

 

 

 

 

2024年8月1日(木)

術後1年6か月が過ぎてしまった。

コロナの再発と記録破りの猛暑続きで外での歩行訓練はできず、出かける時はもっぱら電チャリ。狭い室内をハツカネズミのように家族の迷惑顔を横目で見ながらぐるぐると・・・💦💦

せいぜい1500歩が良いところ。

目標として9月のミニウォーク例会に参加できればと。 できるかな~??

いまだに咲いているアジサイと真夏の花モミジアオイ(写真右)この猛暑の中、

花たちに力をもらっている。

         

 

2024年7月12日(金)

2024年7月3日に、一万円、五千円、千円の3券種を改刷しました。新しいお札は、150年以上にわたり培った偽造防止技術の結晶。(日本銀行サイト参照)

私のHGの飛鳥山公園は渋沢栄一翁が晩年過ごした場所です。

テレビでも放映された地元のパン屋さんの作品

偽札??

紙幣100枚分の厚さです。

食べてみたいがもう少し我慢 💦

2024年6月15日(土)

2023年2月脊柱管狭窄症の手術後、1年4か月が過ぎました。

手術により脊柱管の痛みはなくなりましたが、併発した椎間板ヘルニアからの痛みが出ておまけに思わぬ歩行困難に見舞われてしまいました。

術後からの右足のしびれがあるものの自力で頑張っているところです。

 

今日は久しぶりにホームグランドの飛鳥山公園へ電チャリで行き園内や今が満開の「飛鳥の小径」の紫陽花を観てきました。

 

 

久しぶりのホームグランド飛鳥山公園

 

 

 

 

モノレール「アスカルゴ」頂上駅前の唯一のお花畑

 

 

 

飛鳥山公園内から「飛鳥の小径」へ

右足のしびれで踏ん張りがきかない中、無事、京浜東北線線路際へ降りてゆきました

 

 

 

 

間もなく新札一万円

生涯をここ飛鳥山で過ごした渋沢栄一資料館

 

 

 

七社神社(ななしゃじんじゃ)公園となり

江戸時代には七所明神社といい、西ヶ原村の鎮守

渋沢栄一氏は明治34(1901)年に飛鳥山邸を本邸とし七社神社の氏子となりました。