長崎も78回目の慰霊の日 | 〜未来を変えよう〜寛親(ひろちか)から君へ

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日本維新の会衆議院広島県第3区支部長の「せぎひろちか 」です。古い政治の在り方・古い選挙制度・古い政治家を刷新して日本の未来を変える為活動を続けます!

こんばんは。

せぎひろちか(瀬木寛親)です。

広島に続いて本日8月9日に長崎も78回目の原爆の日を迎えました。

 


今年は台風の影響で今朝も暑い雲。平和記念式典は60年ぶりに屋内の会場で規模を大幅に縮小して開催されたそうです。

 

 

7年前にもこのブログで公開した記事を加筆修正して再掲載します。




〜僕は2012年の長崎原爆の日、トルーマン元アメリカ合衆国大統領の孫「クリフトン・トルーマン・ダニエル」さんが来日し広島・長崎両式典に参列することをお手伝いする民間プロジェクトのボランティアとして長崎に行きました。

ダニエル氏の広島入りから1週間行動を共にし長崎まで来ましたが・・広島での予定があり長崎平和式典の開始前の早朝帰路に着きました。

なので未だ長崎の式典はテレビでしか見たことがありません。しかし広島との違いに以前から違和感を感じてました。

恐らく思っていても言わない(言えない?)人が多いのではないかと・・

同じく被爆地の広島と長崎の違いについて殆ど語られてません。

立場的に僕の発言は多少許されると思われ、気付いた点を少し。


僕が平和活動を始めた10年ほど前に、とある新聞社から取材があり「〜祈りの長崎〜と言われますが瀬木さんにとって広島はどう表現しますか?」と問われました。

僕は当時恥ずかしながら有名な「怒りの広島・祈りの長崎」と言う言葉があることも知らず・・・

自分が幼い頃から復興する広島市、特に幼少期を過ごした原爆ドーム付近の綺麗になって行く様をイメージして「希望の広島」と答えました。

記者の方が敢えて「怒りの広島」ではない答えを誘導したかったかどうかは分かりませんが、ともかくも翌日の朝刊には「希望の街広島」とのタイトルで僕の言葉が掲載されました。


広島での式典を幼い頃から見てきた僕にとって長崎での式典の違和感は・・平和の誓いを読み上げるのが広島では「子供代表」長崎では「被爆者代表」であること、そして平和の歌の合唱が広島では子供達、長崎では被爆者達であると言う点。

毎年かどうかは分かりませんが今年の長崎での平和の誓いを読み上げられたのは被爆者関連団体の代表の方でした。

平和式典は何よりも慰霊の場、そして未来に向けて平和を祈念する場であるべきです。

「長崎平和の誓い」文章の中にオバマ大統領の広島訪問に触れ「広島と長崎への2つの種類の違う原爆の投下は人体実験であった」と言う意味の下りがあり、その後「日本が近隣諸国に与えた加害者としての面も忘れてはならない」「日本も反省しなければならない」等々、そして「我々は世界市民として・・」との下りもありました。

当然様々なイデオロギーを持った方々が様々な意見を述べるのは非常に大切なことと思います。

しかし世界が注目する広島・長崎の両式典の中で発する言葉、又は人選としては正直疑問を感じてしまった方々は多いと思います。

印象としては広島が未来を担う子供たちのため、長崎は被爆者による被爆者のための式典との印象が残ります。

実際は「祈りの広島・怒りの長崎」なのではないかとも。

過去に2度の市長銃撃(うち1人は死亡)が起こった地でもあり様々な行政側の事情もあるのかと慮って注視をする街、それが広島から見た長崎でもあります。

平和式典のあり方は市の裁量ではありますが、ただ2つの戦争被爆地として広島と長崎は手を携えより良い「未来」に向けて発信して行けたらと思います。

私感でした〜

 

 


 

 

平和な未来を実現しよう

 

せぎひろちか(瀬木寛親)