健全なる精神と肉体 | 終活オヤジの独り言

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今日も、誰にも何の役にも立たない、どうでもいい様な事をつぶやきます。
もし、お気に障った事がありましたら年寄りの言う事なのでお許し頂きたいと思います。

誰もが、心も身体も健全であることを願っています

 

“健全なる精神は健全なる肉体に宿る”

 

と、言う言葉があります

 

これは肉体が健全であれば、それに伴って精神も自ずと健全

になる、と言う事になりますよね

 

本当にそう断言していいのでしょか?

 

これでは、健全なる肉体でない人には、健全なる精神が宿ら

ない、と言う事になりませんかね?

 

また、健全なる精神の持ち主は、肉体も健全だ、と言う事に

なるのでしょうか? 

 

必ずしも、肉体と精神は健全性に関してイコールでは無いと

思うのです

 

私の捻くれた解釈ですかね

 

そこで、ちょっと調べてみました

 

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“健全なる精神は健全なる肉体に宿る”

 

この言葉は、ローマの風刺詩人ユウェナリスの「風刺詩集」

からの詩の一部が訳されて広まった言葉だという事です

 

他にもユウェナリスは哀しい現実を嘆き憂い、誘惑に打ち勝

つ強い精神力の大切さを、切々と説いているのです

 

本来は“人は大欲を抱かず、健康な身体に健全な精神が宿る

ように神に祈るべきだ”と言うことなのでした

 

つまり、人は大それた欲は抱かず、健康な身体に健全な精神

が宿るようにすべきだ、と説いているのです

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昔は現在のように簡単に、誰もが必要な事を必要な時に検索

して調べることが出来なかったので、正確性を確認できない

まま一般に広まってしまった事が多々あるようです

 

要するに、今回も翻訳や解釈の違いによって世間で認識され

ている意味と、本来の意味とはちょっとズレているというこ

となのでした

 

ですから、いつ、だれが

“健全なる精神は健全なる肉体に宿る”

と解釈し決めつけてしまったのかは分からないのです