虹の色 | ambiguouswordsのブログ

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幼児が言語を覚えることは、虹の色の数を覚えることと似ている。
森羅万象はグラデーションや絡み合いの中に存在し、どこかで意味を区切ることはかなり難しい。
色も音も匂いも、ほぼ無限に種類が存在するが、人々はその一部を切り取って認識している。

パンの青黒い部分を「カビ」と言えば、あたかも「カビ」というものが存在するように感じる。
だが、菌糸はパンの白い部分にも広がっている。胞子は空気中にも漂っている。
人間の目に見える部分だけを指して「カビ」と呼ぶと、深いつながりや因果関係を断ち切って認識してしまうおそれがある。

「害虫」「毒草」「戦争」「差別」、そういった言葉で切り取られる事象は、遠ざけるべきだと刷り込まれる。
親たちは、子どもたちの生命を危険にさらしたくないから、危険に直結することを本能的に避けられるように子どもたちを導く。

しかし、そういった教育の結果、子どもたちは世界の混沌を見る力を失い、世界に秩序を見出すようになってくる。
そして、言語とか社会組織とか人間関係といった秩序を認識し、その世界で生きていくことになる。

蜃気楼のようなものかもしれない概念をしっかり積み上げ、人間関係や社会秩序の中でうまく立ち回り、充実感を得るものもいる。
自分の行き方に疑いを持たず、喜怒哀楽の中で日々をすごすのは、生物としてとても自然な生き方だろう。
それでも、自ら築いてきた価値観の中で、限界や制約や不平不満などを感じ、心のバランスを崩す者も出てくる。

街の中で時折、意味の分からない言葉をつぶやきながら歩いている人がいる。
思わずぎょっとしてしまうけど、見方によれば、彼らは制約の少ない世界に生きているのかもしれない。
秩序に絡め取られることを拒否すれば、意味を成さない言葉を、場所や状況も考慮せず吐き出せる。

生きていくことにストレスを感じる人は、まずは自分の世界観を意識してみてはどうだろうか。
言語で切り取られた事象の関連性を意識すると、当たり前のことだと思っていた視点がどんどん揺らいでくる。

虹を見て、無数の色のグラデーションだと感じ取ってもいい。7色に区切る必要はない。
「害虫」「毒草」「戦争」「差別」、そういった言葉を絶対に排除すべきものとして認識しなくてもいい。
あくまで、ある観点からある事象を切り取って否定的印象を貼り付けているだけだ。
さまざまな角度から物事を見れば、ひとつの視点を守ることのはかなさを知る。
何かを強く否定して踏ん張っている人は、ストレスを感じながら耐え続けなくてもいい。

あらゆる主義主張も、色も音も匂いも、概念も物も仕組みもマーブル状に混沌と溶け出して、輪郭も構造もあやふやに見えてきたら、新たな思考を立ち上げることができるようになるかもしれない。

熟練工の技術や、聖者や禅僧などの思考は、言語で説明しにくい。
言語で説明しにくいレベルのものに近づくためには、言語や秩序を疑い、観察することが必要ではないだろうか。

そんなことをぼーっと考えるこの頃。

秩序の世界でとても高度な思考を行っている人は多いけど、ぼくはあまりそこに興味が持てない。
ぼくが見たいのは、直視すると見えないけど視野の片隅では感知できるような気がする6等星や7等星だったり、感知できる範囲外からふっと感知できる範囲に入ってくる香りの奥行きだったり。とても表現しにくいところだ。