王仁博士は中国人? | ambiguouswordsのブログ

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朝鮮半島の人々(中国系の人々を除く)が金や李など中国的な姓になったのは、新羅が半島を統一した頃からだと言われる。
日本書紀などに出てくる百済の王族や官僚などは中国的な姓ではない。

たまに、「世界最古の企業『金剛組』を作ったのは百済からやってきた金剛重光(柳重光)だ」と書いているサイトを目にするが、金剛という姓をもらう前に柳姓だったという根拠はない。

百済から日本に漢字を伝えたといわれる王仁博士は、ずっと「ワニ博士」と言われてきた。
古代の日本では「ん」の音を文字にしなかったから、文字だけ見ると発音が誤って伝わることも多かった。
ワンニンという名前を、ワニと表記した可能性が高い。王(ワン)さんだったのだろう。

平安時代の『新撰姓氏録』によると、「王仁は高句麗に滅ぼされた楽浪郡出身の漢人系の学者とされ、百済に渡来した漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる」のだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81

王仁博士は中国語ネイティブだったのかもしれない。それなら漢字のプロだ。。。
百済に中国人が住んでいたことは、中国の歴史書にも書かれている。


日本は戦争で壊滅的に負けて全面降伏したおかげで、国粋主義的な歴史観から解放された。
いくらか謙虚になり、独善的・民族主義・国家主義的ではない歴史学の研究も進んだ。
最近は保守的に振り戻されているのではないかという見方もあるけど、マルクス主義的な歴史学が行き過ぎていた面もあったから、それが弱くなってきただけかもしれない。
(政界から社会主義者や共産主義者の人はかなり減ったけど、歴史学界にはまだまだ多い)

国家や労働者や被差別民などに関する研究でも、マルクス主義的な視点にとらわれて実態を見誤ってしまった例も多い。
それが直されている現状は、左派の人には不満かもしれないけど、イデオロギーにとらわれない歴史学に取り組んでいる人にとっては、自由に研究できるいい状況かもしれない。


だが、中国や韓国では、戦前の日本のように、自国を特別視するような歴史学が支配的なのだろうか。

韓国政府の偉い人でも「日本は百済の植民地だったくせに」などと大真面目に思っているようだけど、そう考える根拠は何なのだろう。

韓国には13世紀以前の歴史書が存在しないので中国や日本の文献を参考にすると、
「百済は新羅人や高句麗人や倭人、中国人が混在する多民族国家」
「百済には倭と同じく体に刺青を入れた海洋民族的な者も多い」
という様子が伺える。
古墳や出土品を見ても、朝鮮半島南部から西日本にかけて倭人が広く分布していたことを否定することは難しいのではないだろうか。
日本や中国と同様に、韓国も多くの民族がミックスされて現在にいたることを認めてもいい。

また、日本書紀には、領土を失った百済に任那の一部を割譲した記録や、百済が日本に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが残されている。
(しかし、韓国ドラマではなぜか、未開民族の格好をした倭国の姫が百済に人質として渡される様子が描かれている。根拠は何なのだろうか。。。)

韓国の人々が精神の安定を保つためには、自分たちの自負心を満足させるための歴史観が必要なのかもしれないけど、歴史学と信念・信仰は切り離して考えるべきだろう。
自分に都合のいい考え方を、他の人に共有してもらうのは難しい。

あまりにも自国の優越性や正当性を追求する歴史観を肥大化させてしまうと、思考や行動も硬直化してしまい、かつての日本のように国を滅ぼすような状況に陥ってしまうのではないだろうか。
まあ、そういった状況にでも向き合わないと、どの民族もどの政府も、なかなか客観的に自分たちを見ることができないのかもしれない。


■<参考>古代朝鮮半島関連の中国文献(6~7世紀)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE

『梁書』
<百済傳>
其言参諸夏、亦秦、韓之遺俗云。
(その言葉は、中華諸国や秦の言葉が加わっており、韓に遣された習俗だという)
其国近倭、頗有文身者。
(其の国は倭に近く、刺青をした者が頗る多い)

『北史』
<百済傳>
其人雑有新羅、高麗、倭等、亦有中国人。
(そこの人は新羅、高句麗、倭等が混雑しており、中国人もいる)
百濟之國、蓋馬韓之屬也、出自索離國。
(百済という国は、蓋馬韓に属し、索離国より出る)

『南史』
<百済傳>
其国近倭、頗有文身者。
(其の国は倭に近く、身体に刺青を施す者が頗る多い)

『隋書』
<倭国傳>
新羅百済皆似倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来。
(新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している)
<百済傳>
其人雑有新羅、高麗、倭等、亦有中国人。
(其の人達は新羅人、高句麗人、倭人等が混雑しており、また中国人もいる)