たとば、新約聖書の一節(「キリストの山上の垂訓」の一部)の印象的で綺麗な文章がありますので、引用してみました。

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか

(マタイ福音書:六章二八節~三十節)

ここに記されている「野の花」は、通常には「ユリ」を指すと考えられます。しかし、諸説ありますので、正確には「ユリの様な草花」でしょうか。いずれにせよ、このような文に記載される花としては、「ユリ」がふさわしいと言う点は、妥当な考えではあるのでしょう。

「白いユリの花」は「純潔」の象徴として用いられるため、キリスト教では、「聖母マリア」の「処女懐胎」の物語の道具立ての一つとして絵画などに好まれて使用されてきました。象徴として大天使ガブリエルがユリの花をたずさえて受胎告知を行うことにより、聖母マリアがイエスを精霊によって身篭ったとされることです。また、これによって、白いユリの花の事をマドンナ・リリーと呼ぶのであります。

ユリ(百合)が純潔の象徴で、豊穣と大地の女神デメテルやその娘の春の女神ペルセフォネを表すのに対して、バラ(薔薇)は、愛の女神アフロディテを象徴する花として用いられます。この様な花と女性像の対比は古来からよく用いられてきている様です。

―サイボーグ009の「サイボーグX」編より―   サイボーグX:ナックのセリフより。

「バラの花、バラの花は美しい。特に夏のバラは綺麗だ。」

「バラの花は枯れた。あんなに美しく咲いていた夏のバラが。秋が来たんだ。」

「この夏のバラの花にかけて誓う。誰の命令でもなく。」

ちょっと気障。しかし、この言葉、人生の苦闘時に心の中で結構使えます。

ユリの花については、「龍神沼」のヒロインの龍神のお姫様が白ユリを携えて現れます。

主人公の町から来た男の子に彼女は興味があるようですが、流石に近づく事が出来ません。

男の子が、外で昼寝をしている隙に、彼女は、彼女の印である白ユリを男の子の傍らに置いて去ります。

白ユリが龍神の少女の神格を表すのに効果的に用いられています。

「ユリは高嶺の花」といったとろですが、それと同時に少女の健気で美しい気持ちも表しています。

赤毛のアンでも、クイーン学院時代のステラ・メイナードがユリの花であるならば、プリシラ・グラントがバラの花なのでしょうか。

恐らく作者は、意識的にクラスメートの人格を配したのでしょう。

民事再生法適用会社の状況についての私見

現状、ディックスクロキとモリモトについての株主総会議決の用紙が配布されており

ディックスクロキ:臨時株主総会:第3者割当増資等の件

モリモト:第26回定期株主総会:計算書類の承認

2つとも、議決行使無き時は賛成と解するという文言について私は疑義があるのだが。

モリモトについては、

計算書類承認、イコール過去の経営の承認という意味なのであろうか?

取締役の承認という意味はどういう意味なのかも実は不明のところあり。

というわけで、議決を要求して来ている状況で、過去に無かった事です。

本来、議決が必要と言う事なのかはまだ、不明であるが、流れが若干変わってきたとすると、この、機をつかむべきであると考える次第である。

過去の件に遡及できるかどうかは不明であるが、今後の案件に対しては歯止めが期待できるものと考えるが、景気回復が本格的であれば、経営陣は経営権確保に必死になると考えられる。

もちろん、景気は経済政策でどのようにでもなるものであって、為政者の恣意に依存するため注意と監視が必要である。

経済政策と、民事再生手続き対策とは別個のものであると考えなくてはならず、この2つのファクターの状況を見極める事が成否を決定付けるものと考えられる。

対応、プレーヤーは企業経営陣と法執行機関、そして外資の動向である。

外資がどう動くのかも注視しなくてはならない。また、外資は1企業ではなくて、国家の側面をも持つものである。

これが経済政策担当者との駆け引きのなかで、経済状況が変化していくためこの事に充分考慮しなくてはならない。

景気が回復すれば、経営者がバカでも企業状況は回復するのである。

民事再生の不備をアピールしていくしか方法は無いが、その他の手立てはこの様な外部環境を踏まえれば見えてくるものもあるのである。