さて、ここで、この戦争ゲームともいえる2人制のチャトランガが作られたときの伝説をひとつ。

昔、戦争好きの王様がいて、いつも自分の力を頼んで、戦争ばかりしていました。弱り果てたのは王の下にいる人々です。王の圧政に苦しみました。

その民の困窮をみかねた賢者が、新しいゲームを考案して、王に献上しました。その新しいゲームというのが、2人制チャトランガだったのです。

王は、この戦争を擬したゲームに夢中になりました。そして、実際の戦争を止めてしまったのです。

民は喜びました。そして、国に平和が戻どり、豊かになったのです。

国が豊かになったのを見て、王様も喜びました。

王は、賢者に、「なにか、褒美はいらないか。」ともちかけました。

賢者は、それではと言い、「チェス盤の初めのマス目には米を一粒、次のマス目にはその倍、その次のマス目には更にその倍の米を。

そしてマス目ごとに倍、倍となるように64(チェス盤は8×8)のマス目まで続けていき、その盤上に相当する分だけ米をください。」と言いました。

王は、快諾しましたが、賢者の言うとおりに米をならべていくと皆が分かった事というのは、2の10乗でおよそ1000。2の64乗でおよそ10の19乗と莫大な量の米になります。

国中の米倉にある分ではとても足りない。

これを知った王様は、真っ青になりましたが、賢者は落ち着いて、「この様な無謀な約束をなさいますな。」と言ったそうである。

ところで、現在のチェスですが、このチェスが公式にルール化されたのはいつの頃でしょうか。時代は19世紀後半に制定されたのだそうです。

ルイス・キャロルが生きた時代だったのですね。

それと、中将棋や大将棋の情報がネット上では、得られます。時代は変わったものです。

チェスと将棋と囲碁の比較ですが、チェスにおける可能な局面はおよそ10の120乗であるのに対して、駒の再使用可能な将棋の場合は、およそ10の200乗。囲碁の局面の場合は、低く見積もっても10の300乗であると考えられています。

この選択肢の多様性が、囲碁が戦略ゲームの際たる物と考えられる所以であります。

「囲碁」ということであれば、任天堂に先立て、アメリカでファミリーゲームの機器を製作・販売した会社に「アタリ」社という会社がありました。

囲碁の「あたり」から社名を採ったのだそうです。戦略ゲームとして囲碁は世界中で親しまれているようです。

「ヒカルの碁」という漫画もあったのですが、オックスフォードの学寮にテレビカメラが入った際に碁盤が無造作に置いてあるのを見た事があります。

頭脳トレーニング(戦略思考養成ツール)として、囲碁は申し分ないものかもしれません。


チェスに関わるお話し。

ボードゲームもいろいろありますが、チェスや将棋を中心にまとめた雑談集です。

スター・トレックに出て来るようなピラミッドチェスやインペリュームであるとかパンサー・ブリッツの様な伝説的ボードゲーム、また、現代のコンピュータゲームなど今後多くのバリエーションをきっと皆様は今後お楽しみになる機会があると思います。

戦争の陣形を型とったこのボードゲームは古来から人々のイマジネーションを描きたてて来たことでしょう。

また、実際、兵棋演習など、軍事に実用されたものなど、語るとなると膨大なものがあるのかもしれませんが、その全ては、とても私には語りきることはできません。

ほんのさわりの部分にしか過ぎませんが、お読み頂ければ幸いです。

チェスの起源はインドのチャトランガと言われ、西洋でチェス、中国で象棋(シャンチー)日本で将棋とchで始まるのは偶然ではないといわれています。

蒙古人に「チェスの発明者は?」と聞くと「モンゴル人」と答えるそうですが、確かに、ボード上でチェッカーの様な遊びを開発したのはモンゴルの人かも知れないのです。

チェスの起源チャトランガは、サンスクリット語でチャトルは4つ、アンガは組、要素といった意味で、4つの軍隊という意味の合成語だそうだ。

古代インドの軍制が、象軍、騎兵隊、戦車隊、歩兵隊から成っているため、駒も、・象・馬・車・兵を形取ったものであると考えられている。

チェスでは、王(キング)・女王(クイーン・将)・僧(ビショップ・象)・騎士(ナイト)・城(ルーク・車)・兵(ポーン)となっている。スペインでは、ビショップを象と今でも呼んでいる。

将棋では、一説によると、王将(王)・金将(将)・銀将(象)・桂馬(馬)・香車(車)・歩兵(兵)と対応し、飛車・角行がオプションで付いているとも言われる。

通常であれば、飛車(ルーク)・角行(ビショップ)・桂馬(ナイト)に対応するとされている。

また、将棋(チェス)のそもそもの始まりは、サイコロを使う4人制の双六のようなボードゲームであった。

この、4人制のゲームとは、回遊式のボードゲームで、各回3個ずつ駒を進めることができる。それぞれの出発点から、最終的に真ん中に到達することを目標とするゲームであったと想像されています。

この4人制のチャトランガが2人制に編成されるときに、サイコロを使う必要性がなくなり、対戦頭脳ゲームになったと考えられています。

ゲーテの「野ばら」よりのお話し。

一、 童(わらべ)は見たり 野なかの薔薇(ばら)
清らに(きよらに)咲ける(さける) その色愛でつ(めでつ)
飽かず(あかず)ながむ 紅(くれない)におう
野なかの薔薇

ゲーテの作詞で、シューベルトが曲をつけたり、ベートーベンが作曲にチャレンジしたりとなにかと話題の多い作品です。

最終的には、ウェルナーが作曲したものが、今ではメジャーになっています。

ゲーテは、シューベルトがつけた歌曲のようなものではなく、ひろく民衆に口ずさまれるような楽曲を希望していたと言われています。

野ばらのモチーフ

ゲーテは20歳の頃、シュトラスブルグの大学の学生でした。そのとき、ローゼンハイム村で野ばらのモデルになるフリデリケ・ブリオンと恋に落ちます。しかし結局ゲーテは彼女を捨ててその地を去ってしまうことになります。

しかし、その時の良心の呵責の念は消えることはなく、「野ばら」の詩には、その思いが込められていると言うことです。

フリーデリーケを野ばらになぞらえることがどういうことなのかは我々には判然とはしませんが、ゲーテが一方ならぬ此の詩に掛けるこだわりと、思い入れを考えるとゲーテにとってはやはり大切な思い出であり心の財産であったに違いありません。

ちなみにフリーデリーケは一生結婚をしなかったそうです。(そのくらいひどいことをしたんだ。)

他方、バラについては。

ギリシャ神話の美と愛の女神アフロディテは、海の神が世界で一番美しいものを創り出そうとして、キプロス島の近くの海の泡から創り出された者であるといわれています。

その時、大地の神が自分も同じような美しいものを生み出そうとして、創り出した花がバラであるといわれています。

神々は、この花の完全な美しさを見て、神の酒(ネクタルのことか?)をそそいで称賛したといいます。それ以来、バラはアフロディテの花とされ、ささげられていました。

古代エジプト・プトレマイオス王朝最後の女王クレオパトラは、ギリシア人の血をひいた彫りの深い美しい顔・姿をしていました。(プトレマイオス朝の祖は、アレクサンダー大王の部将なので、マケドニア人)

それ故に常に孤立気味であったクレオパトラは、最初はシーザーの力を頼み生きていきます。しかし、シーザーの死後、クレオパトラの身辺はまたしても不穏のものとなります。

クレオパトラはアントニウスを頼みに生きていくことを決断していくことになります。

その女王クレオパトラがアントニウスをもてなす宴席にバラのエッセンシヤルオイルをまき、寝室にはバラの花びらを敷き詰め、自身はバラの香水風呂に入り、そのえもいわれぬ香りでアントニウスを酔わせたと伝えられているのです。

なにより、当時エジプトは豊かであったのかも知れません。真珠を酢で溶かしたものを飲んでみせるシーンが有りますが、酢を用いてでは真珠はたちまちのうちに溶けるような事はないのだそうです。

アントニウスは、そのエジプトの富とクレオパトラの演出する饗宴にすべてを忘れエジプトの女王に身も心も奪われたということだそうです。