たとば、新約聖書の一節(「キリストの山上の垂訓」の一部)の印象的で綺麗な文章がありますので、引用してみました。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか
(マタイ福音書:六章二八節~三十節)
ここに記されている「野の花」は、通常には「ユリ」を指すと考えられます。しかし、諸説ありますので、正確には「ユリの様な草花」でしょうか。いずれにせよ、このような文に記載される花としては、「ユリ」がふさわしいと言う点は、妥当な考えではあるのでしょう。
「白いユリの花」は「純潔」の象徴として用いられるため、キリスト教では、「聖母マリア」の「処女懐胎」の物語の道具立ての一つとして絵画などに好まれて使用されてきました。象徴として大天使ガブリエルがユリの花をたずさえて受胎告知を行うことにより、聖母マリアがイエスを精霊によって身篭ったとされることです。また、これによって、白いユリの花の事をマドンナ・リリーと呼ぶのであります。