D N Aで分かるまで。

 

 <37>ではまだ「邪馬台国」と「卑弥呼の鏡」が気になっていて、その両方に関わる「飯豊山」を先にと思い、248年の空を見上げる位置を飯豊山にしてみた。すでに日本天文台や斉藤国治(東京天文台)の資料では、日食が会津地方で起きたことは示されていたから、それよりは「」(土鏡)の出土した「山都町(現・喜多方市)」も含めて、その緯度経度から「日食」の程度を見てみたかった。

 早速新たな情報が寄せられたが、そのお陰で「NASA」の古代の地球自転のパラメータを知ることができた。

 このNASAのパラメータに準拠してアストロアーツ社のステラナビゲーターは構成されていると思われたので、以前ペンタックスのGPSユニットを使って「柿本稲荷五社大明神」を撮影した際の画像に合わせた「緯度経度」で、248年の天体現象を表示させてみた。

 

       

 

  金環日蝕とも言えそうなぐらいの皆既日食そのもので、午前5時50分には、木星金星が見えるほどに、空は夜空に近づいている。柿本稲荷神社から猪苗代湖方面を向いた際の空模様ということになるだろう。

  

   

 

 以前にも上げたものだが、北緯37度30分07秒 東経13度°54分54秒 標高201メートル ということになる。

 とても微妙なのだが、月と太陽とがどの程度に重なるかを、図でも示していてくれたのでそれを上げておこう。

 

 

 

 ぴったり、と言えるほどの重なり具合だ。わずかに円周を極めて細い破線で描かれているのが分かるだろうか?

 

  古事記に描かれた「天岩戸」の物語を追って、とうとう<NASA>まで出てきてしまった感が否めないが、この天岩戸を日食という天体現象だと見抜いたのは荻生徂徠(1666〜1728年)その人だとされている。ただ、彼以前に、保科正之の要請によって安井算哲(渋川春海1639〜1715年)が800年ぶりに改暦(貞享暦)したことは知られており、その暦の成否こそが「日食」の起こる日時を正しく示せるかどうかであったから、彼「徂徠」にとっては、既知の知識を生かしたに過ぎなかったかもしれない。

 

飯豊山」や「山都」では、金環日蝕や皆既日食は起こらなかった。あくまでP Cアプリの結果ではあり、あるいはΔTの数値の結果に過ぎないのだが、これに基づけば、わずか1分に満たない現象であれ、旧来の史的認識を吹き飛ばすほどの異様性を

帯びていると言わなくてはならなくなる。

 「会津」で起きた「日輪」と「月輪(がちりん?)」の合体。言葉にならないわけがない。事件が起きないわけがない。

 

 しかし、つい先ほどまでは、「山都」と「邪馬台国」をめぐって、中国ではどのように捉えられているのか知ろうとしていた。

 

 “邪(通“耶”)马台”上古读音是 la mraaq dww、读起来类似“拉马得”。日语中“大和”、“倭”都读ya ma to(やまと)” などとの説明があった。

 ※ 訳 邪(耶に同じ)馬台古代の発音は「ラ・ムラーク・ドゥウ」で、「ラ・マ・」に似ています。日本語では、「ヤマト」も「」も「ヤマト」と発音します)

 

 面白いのは、現在中国語では、<簡体>(中国本土)では邪马国と書かれ、<繁体>(台湾)では邪馬國と書かれています。そして邪馬は<Xié mǎ>と発音し耶馬は<Yémǎ>と発音しているようです。「台」が今ではになっています。我が国の「音」に合わせているのでしょう。

 ここで、極めて驚くような「邪馬臺国」ではない「邪馬国」の新たな「読み」を見つけてしまったのです。古田武彦の説をさらに進()めた、ずっと「」に拘泥し続けてきた者には傾聴に値する貴重な「意見」です。

 

 「邪馬壹(いつ)国の原点 倭)」(泉 隆弐著)には、「東晋の頃までは日本列島がと呼ばれていた」と心憎いほどしっかりと書き記してある。