アインシュタインが娘に宛てた「愛の手紙」とは・・・ | 私と流れる時間の記録

※作者:https://pixabay.com/ja/users/parentrap-2161438/

 

 

 

こんにちは、こんばんは。

 

まず本題に入る前に、最近フッと思ったことがあって無料の画像サイトを活用しているのですが作者をリスペクトしたいと。ですのでできる限りサムネ画像の下には今回のように作者のページ載せるようにします。

 

顔画像とかはできる限りオフィシャルから引用させていただいて、それも過去と同じように「※」の後にどこから載せているか明確にしていこうと思います。

 

本題です。

 

今ではこの「アインシュタインが娘に宛てた手紙」というのは本人ではないという情報が出ています。正直私にとってはどちらでもいいのですが、もしアインシュタイン本人がまたは本人以外の人がなぜこういった文章を書いたのか?そこに興味がわきます。

 

「私が相対性理論を提案したとき、ごく少数の者しか私を理解しなかったが、私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。

必要に応じて何年でも何十年でも、私が下に説明することを社会が受け容れられるほど進歩するまで、お前にこの手紙を守ってもらいたい。

現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、ある極めて強力な力がある。それは他のすべてを含みかつ支配する力であり、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだ特定されていない。この宇宙的な力は愛だ。

科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。

愛は光だ。
それは愛を与えかつ受け取る者を啓発する。

愛は引力だ。
なぜならある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。

愛は力だ。
なぜならそれは私たちが持つ最善のものを増殖させ、人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。

愛は展開し、開示する。
愛のために私たちは生き、また死ぬ。
愛は神であり、神は愛だ。

この力はあらゆるものを説明し、生命に意味を与える。
これこそが私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。
それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを学んでいない宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れているからだろう。

愛に視認性を与えるため、私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。
「E = mc2」の代わりに、私たちは次のことを承認する。
世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った、と。

私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に人類が失敗した今、私たちが他の種類のエネルギーで自分たちを養うのは急を要する。

もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、愛こそが唯一のその答えだ。

恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を完全に破壊できる強力な装置、愛の爆弾を作る準備はできていない。

しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、しかし強力な愛の発電機をもっており、そのエネルギーは解放されるのを待っている。

私たちがこの宇宙的エネルギーを与えかつ受け取ることを学ぶとき、愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。なぜなら愛こそが生命の神髄(クイントエッセンス)だからだ。

私は自分のハートの中にあるものを表現できなかったことを深く悔やんでおり、それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。
恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに到達したことを、お前に告げる必要があるのだ」。

お前の父親
アルベルト・アインシュタイン

 

皆さんは「愛」をどのように捉えていますか?

 

正直私は「愛」をまったく理解していないと思います。

一説には「愛は与えること・許すこと」だという人もいます。この愛の定義で言うならば私はどちらもできていないと思います、特に「許す」ことに関しては。

 

現在で言えば、ノーマスクの人に世間がとった言葉や態度…同調圧力があればあるほど「許す」という気持ちより仕返しをするというほうが大きくなるのではないかと思います。では私はどうなのか?ですが、結論からいうと許しません。

 

「許しません」と直球で言うと誤解があると思いますので補足します。私は人間ができていませんので、やられたことに対しては決して忘れません。いじめた側は忘れるけどいじめられた側はいつまでたっても覚えているというのは皆さんも経験があるかもしれません。

 

私の「許さない」という言葉の裏にある行動は「相手にしない(スルー)」です。もっと言うとそこにエネルギーを使うのは馬鹿だと思っているからです。幸いSNSや当ブログでは私に対して攻撃するように人はほぼいません。それほど読まれているブログではありませんからね。

 

そして無理にそういう人に合わせようとせずに距離を置くようにしています。SNSを見ると自分からわざわざ厄介ごとに飛び込んでいる人が多く見受けられます。もちろん言わないとわからないというのはあると思いますが。

 

温度差が違うと正解を言っていても絶対に伝わらないと思っています。言い方が悪いですが伝える側のレベルに合わせないといけないわけです。それがだめならスルーする。自分の次元をわざわざ下げる必要もないと思っています。

 

でもこの許さない=忘れないという風に捉えることは意外に必要なことではないかと思います。だからこそ次に活かせることができますからね。

 

この手紙の真意は一体何でしょうかね?