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多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と低用量ピル、妊娠について

無事に、実家に戻り、昨日産婦人科も受診して、赤ちゃんも元気でした。

この2週間以上の長旅を耐えてくれた赤ちゃんに感謝です。

きっとタフな子どもになってくれるでしょう(笑)

 

さて・・今日は、ちょっといつもと違う話題なのですが、

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)って聞いたことありますか?

 

私は、2012年に青年海外協力隊を終えて、日本に帰国したときに、

念のため、産婦人科を受診し、この病名を言われました。

実はこの病気で悩んでいる人が最近多いようで、

もし、私の事例が役に立てばと思い、書いていきたいと思います。

 

当時、私は45日~50日周期くらいで生理が来ていましたが、

ひどいときは、3か月くらい生理が来ない時もあったりして、そこそこ悩みました。

産婦人科の先生に、

「そもそも周期に5日間もずれがあって、生理周期が35日を超えているというのは、生理不順だから!!」

と言われてしまいました。

さらには、不妊につながる病気だそうで・・・

人の身体がそこまで厳密にできているなんで知らかなった。

 

それから、検査をしてもらった結果、

卵巣の周りには、数珠のような丸いものがいくつも連なったもの(排卵できなかった卵胞たち)があり、

男性ホルモンが、女性ホルモンを遥かに上回り、

実年齢より20歳も上回るくらい、骨密度が下がっていました・・・

 

タンザニアで、のんびり過ごしていたので、健康だとばっかり思っていましたが、

そこそこ過酷な生活に一人で立ち向かうという経験は、

女性であることを忘れ、男性のような逞しさを手に入れてしまったのかもしれません(笑)

 

産婦人科の先生が言うには、

普段、卵巣は、毎月排卵をするたびに、卵巣の壁が破られてしまうので、

生理が始まって年月が経つにつれて、卵巣の負担が増えていきます。

でも、あるとき妊娠し、約9か月の間、排卵がなくなることで、卵巣を休めることができるのだそうです。

妊娠した後に、生理不順が治ったということがよくあるのは、このおかげなんですね。

 

なので、妊娠することでこの病気の治療法になるようなのですが、

結婚もしていない私が妊娠できるはずがなく・・・

 

そこで、私が飲んだのは、低用量ピル。私が飲んでいたのはファボワールでした。

低用量ピルは、避妊用の薬でもあるけれど、女性ホルモンをコントロールしてくれて、

さらには、子宮内膜症や子宮体癌まで予防してくれるという・・・

生理も軽くなるというし、先生がこれを飲めば将来子ども産める!と励ましてくださったので、

飲むことにしました。

 

飲み始めて、しばらくはちょっと頭痛がしたり、気分が悪くなったりもしたのですが、

それ以降は、生理の量も減るし、生理の日も確実に決まっているしで、とても快適でした。

ただ、私の場合は、ピルを飲みだして2年くらいで、肝臓と乳房に良性の腫瘍ができました。

これがピルのせいか分からないのですが、でもピルを止めた後の検診では、

これらの腫瘍がなくなっていたので、ピルの姓だった可能性が高いかもしれないです。

そのほか、血栓ができやすくなるというリスクもあるらしいので、

ピルを飲む場合は、お医者さんにちゃんと相談したほうがよいです。

 

ピルを飲み始めて7年間、そのあとアフリカ生活の間も、ずっと継続していました。

一時は、結婚も妊娠も諦め、一人の人生を考えたこともあったのですが、

何より、ピルを飲みだしてから、とても生理が軽くて、楽だったのです(笑)

 

でも、飲み続けて本当によかった。

結婚することになり、いざ妊娠できるのか、すごく不安でしたが、

ピルをやめてからは、30日周期できちんと生理が来るようになり、びっくり。

念のため、産婦人科へも行きましたが、ホルモンもすっかり正常値に戻り、

卵巣付近の卵胞の連なりも消え、さらには、排卵直前の卵子まで発見することができました!

そして、妊娠を望んで、最初のタイミングで、見事妊娠。

ピルと産婦人科の先生に感謝です。

 

ピルは、多少リスクもあるみたいですが、それ以上にメリットのほうが大きいと感じました。

私の例は、あくまで一例なのですが、少しでも誰かの参考になればうれしいです。

 

とりあえず、10月末までの妊娠期間、無事に過ぎてくれますように・・・

無事に帰国しました④ 【6月1日~13日】その後の自主隔離期間

今回がラストです。続きをどうぞ。

(前回までのお話はこちら⇒その①その②その③

 

【6月1日~13日】 その後の自主隔離期間

さて、無事陰性という結果だったので、ここからは、自主隔離となります。
私は、はじめ成田付近のホテルをとっていたのですが、
どうやら、以下の方面に検疫の無料バスが出るとのことで、
そのあとの移動のことを考えると成田付近よりも、品川付近がよさそうなので、ホテルを変更しました。
検疫の無料バスは、東横イン成田空港から、以下の5方面です。
●成田空港へ直行(成田空港内のホテル・レンタカー営業所を利用する場合)
●成田空港周辺の主要ホテル行き
●成田駅周辺の主要ホテル行き(成田駅周辺のレンタカー営業所を利用する場合)
●羽田空港および羽田空港周辺の主要ホテル行き(羽田空港内のホテル・レンタカー営業所を利用する場合)
●天王洲アイル・品川駅周辺の主要ホテル行き  *ホテルの前まで送ってくれます

そして、幸い、ちょうどこのころ、アパホテルが「コロナに負けるなキャンペーン」をしていて、
破格の一泊素泊まりで2500円で、滞在することができました。
私が滞在しているのは、アパホテル三田駅前で、近くにコンビニもスーパーもあって、そこそこ便利でした。

自主隔離期間に入って、5日目の6月5日、地元の健康福祉センターから連絡がありました。
初めのPCR検査結果待ちのときは、検疫が直接担当してくれていたのですが、
自主隔離期間は、それぞれ、その後の滞在場所の地域の健康福祉センターが経過観察をすることになっているようです。
熱や、咳、息苦しさなど、コロナによる諸症状が出ていないか、毎日報告するように、とのことでした。

幸い、私は特にコロナらしい症状はなかったのですが、

さすがに、もう妊娠6か月の私にとって、手足のむくみがなかなかつらいものでした。

一応、この健康福祉センターの担当者に、せめて散歩くらいはいいでしょうか・・と相談したのですが、

やはり自主隔離期間なので、散歩も控えるようにとのことだったので、

数日に一度の食料調達以外、本当に外に出ていませんでした。

でも、これも感染を広めない、感染しないためですからね・・・

この2週間で、急激にお腹が出てきて、毎日お腹の苦しさとむくみに耐えた日々でしたが、

今日6/13、無事、14日間の自主隔離最終日を迎えました。

やっと実家に帰り、お散歩も許されるかと思うと、ほっとしています。

明日からは、普通の妊婦生活を楽しみたいと思います。

無事に帰国しました③  【5月30日~6月1日】ドーハ→成田 PCR検査と結果待ち待機

こんにちは。

 

東京アラートも解除され、いよいよ、アフターコロナの本格的な生活が始まりましたね。

私の自主隔離期間も今日の6/13で終了し、やっと明日、実家に帰ることができそうです。

 

さて、前回からの帰路の旅路のつづき・・・(前回のお話はこちら⇒その①その②

 

【5月30日】 ドーハ→成田

長いドーハでの待ち時間を終え、ようやく成田行きの飛行機の搭乗時間となりました。

この飛行機は、時間通りに搭乗を開始したので、なんだかちょっとほっとしながら、ゲートに向かいました。

すると、人がパラパラと・・・あれ、少ない?

ゲートがオープンして、中の待合室で少し待っていましたが、

結局、約40名くらいしかおらず、飛行機への搭乗が始まりました。

 

飛行機は、ガラガラで、全員が3名席を一人ずつ使っても、まだまだ空席がある状態。

ドーハ・成田間は、どうやらこの時期もほぼ毎日運航していたようで、

利用者も分散し、空いていたようです。

 

飛行機も無事時間通り、2:10amに出発し、ほっと一安心。

3名の席のひじ置きを挙げて、またもや横になって眠ることができ、数日ぶりに爆睡・・・

気が付くと、到着1時間前でした。

 

無事、予定通りに、成田に到着。

飛行機の中で、長時間待機となるかもしれないと聞いていたのですが、

人数が少ないからか、すぐに降車し、

①家族が迎えに来ている人 と、②ホテルに宿泊予定の人 に分かれて並びました。

(私は、実家が東京から遠いため、ホテル滞在なので、②でした。)

 

①の人たちが先に検疫へ通され、私たちは、約20分ほど待ったでしょうか。

やっと②の人たちも検疫に案内されたのですが、どうやら飛行機で配られた検疫の用紙が古かったらしく、

5月16日付となっていたのですが、実際は、5月25日に改定されており、

南アフリカが、PCR検査対象国となっていました。

私が住んでいたのはレソトでしたが、南アフリカに一度入国してしまっているので、

南アフリカに滞在したこととみなされ、私もPCR検査対象となります。

 

【5月30日、31日、6月1日】 PCR検査、結果待ち待機

ということで、簡単なアンケートに記入し、PCR検査へ。

鼻の中に長い綿棒を突っ込み、グリンっと粘膜に押し付けられます。

なかなか痛かったです(笑)

 

そのあと、PCR検査対象者は、結果が出るまで、2泊3日の間ホテルで待機となります。

(家族が迎えに来ている場合は、家で待機することも可能)

この間のホテル代、食事代は、なんとすべて検疫のほうで負担してくれて、無料でした。

 

ホテルへ移動するバスを待っている間、待機場所は、噂の段ボールベッドのある場所でした。

4月には、帰国者が多すぎて、このベッドで2泊3日をすご満席になっていた時期があったそうですが、

現在は帰国者数がかなり少なくなったようで、待機場所として使用されているだけのようでした。

なので、ここで寝ることはもうないだろうけれど、このベッドはとても丈夫そうで、

意外に寝心地がよさそうだな、と思いました(笑)

 

待ち時間は、ほんの30分程度でしたが、軽食まで準備されていて、日本のホスピタリティに感動しました!

さすが、気遣いが素晴らしいですよね、日本。ちょっとやりすぎかな、と思うくらいですが、笑

 

そこからバスに乗り込みます。人数は、15人くらいだったでしょうか。

座席が覆われ、窓もしっかり覆われていたので、どこに連れていかれるか、全くわかりませんでした。(笑)

バスに揺られること、10分ほどで、ホテルに到着しました。

すでに夜8時半くらいだったので、ホテルの外観も見えず、部屋に入るまで、

自分がどこにいるのか、わかりませんでしたが、部屋の中にあるホテル案内で、やっとどこか分かりました。汗

結局、私たちが収容されたのは、東横イン成田空港本館。

この本館全体が、厚生労働省の要請により、PCR検査対象者を待機するために、

貸し切りになっているとのことでした。

基本的に、一人で滞在なのですが、ツインのお部屋に通されました。

大きなスーツケースを広げるには、ちょっと狭い部屋でしたが、

無料で提供されるわりには、至れり尽くせり。

レソトやドーハの空港に比べたら、スーパー早いWi-Fiが無料で使い放題だし、

時間になると食事が勝手に出てくるので、家事をする必要もなく、とても快適でした(笑)

 

食事は、お弁当が配布されます。

なかなかのボリュームで、全部食べたら、相当太りそう・・・

でも、海外から帰ったばかりの私にとっても、どれもおいしく感じて、食事が楽しみでした!

▼1日目・夕食

▼2日目・朝食                    ▼2日目・昼食

 

▼2日目・夕食

▼3日目・朝食

 

お弁当は、部屋のドアノブの外に配布され、

「配布が終わるまで絶対にドアを開けないでください」とアナウンスが入ります。

感染を避けるために、なかなか徹底されています。

2泊3日の間、本当に一歩も部屋の外に出ることはありませんでしたが、意外に快適でした。

 

3日目の朝、ホテルの内線で、PCR検査の結果が知らされました。

結果は、無事、陰性。よかったー!!

コロナにかかっていないと思っていたけれど、でもいざ検査結果を待つというのは、

ドキドキするものですよね・・・本当によかったです。

 

つづく。

無事に帰国しました②  【5月28日・29日】南アフリカ→ドーハ

Lumelang, bomme le bontate!

 

帰国の旅路の続きです。  (前回のお話はこちら

 

【5月28日・29日】 南アフリカ→ドーハ

5月末時点では、ロックダウンのレベル4ということもあり、

 (南アフリカは、ロックダウンの規制について、3月~4月をレベル5とし、

 5月はレベル4、6月1日からレベル3、と段階的に緩和しています。)

 

ヨハネスブルグのORタンボ国際空港は一般には完全に閉鎖されていました。

そのため、一般の国際線・国内線は、一切運航していなかったのですが、

幸いにも、カタール在住南ア国籍者の帰国と、南ア在住外国籍者の自国への帰還のため、

南アフリカ政府・在南ア カタール大使館・カタール航空の三者間で合意された特別便が運航されることが決まったのでした。

 

5月のはじめは探り探りの状態で、4日ごとに運航されていましたが、この運航がいつまで続くかわからない上に

カタール航空のHPにアクセスが殺到し、予約が取れない状況が続きました。

そのため、私はいったんは帰国を諦めていたのですが、幸い、

日本大使館の方から、5月いっぱいは運航しそうです、という情報をかなり早めに教えていただき、

滑り込みで5月28日ヨハネスブルグ発の飛行機チケットを購入することができたのでした。

 

しかも、4月に運航されたヨハネス発日本行きのチャーター便では、

貸し切りのため、一人あたり約$4000程度かかったそうなのですが、(高すぎて断念した・・)

今回は、カタール運航の特別便ではありますが、チャーター便に比べるとかなりお安く、

$1500で購入することができました。大使館、様様です。ありがたや・・・

 

ちなみに、帰国してから知ったのですが、このカタール便は、6月2日を最後に運航がストップしました。

理由は、南ア航空が同じ目的で運航を開始することになり、その競合となるカタール航空が追い出される形となりました・・・

しかしながら、南ア航空では、日本に帰国するのは、かなり大変そうなので

この5月28日のフライトで帰国できたことは、本当にラッキーでした。

 

  【追記】

  6月・7月は、南ア航空とKLM航空が特別帰還便をヨハネスブルグ・ケープタウン発で運航しているとのこと。

  ワシントンやアムステルダム経由で日本に帰れるそうですが、ますます大変そうですね・・・

 

さて、出発当日、空港は、一般には閉鎖されてしまっているので、

いったん、乗客全員が在南ア カタール大使館に集合し、大型バス十数台で、まとまって空港に入ります。

バスに乗るには、マスクとゴム手袋の着用必須です。

 

この特別便は、毎回ほぼ満席だったそうで、この日は特に完全に満席となっていました。

そのため、カタール大使館前には、ものすごい数の外国人・・・

おそらく400人くらいいたのではないでしょうか。

 

それぞれのバスに乗客が約20人くらい割り当てられているようでしたが、

私は妊婦ということもあり、子供連れや優先座席対象となるような人たちとともに、

早めにバスに乗り込むことができました。

これも日本大使館の方が事前にカタール大使館にお知らせしてくれたおかげ・・

至れり尽くせりです。

 

そして、待つこと約1時間、16時頃にようやくバスが空港へ向けて出発。

バスが数台ずつ連なって空港に向かいます。

 

 

大使館のあるプレトリアから、空港のあるヨハネスブルグまで、約30分程度でしたが、

ソーシャルディスタンスを保って空港内に入るのと、セキュリティの問題みたいで、

厳重な雰囲気のもと、バスは2台ずつしか空港に入れません。

 

とはいえ、空港は、私たち以外だれも乗客はいないので、それほどストレスもなく、

18時には、ゲート前に到着しました。

 

空港の中は、極寒・・・

現在ヨハネスブルグは冬で、朝晩の気温は10度以下です。

そして、空港は、私たちだけなので、暖房もWi-Fiも入っておらず、

とにかくひたすら寒さに耐えながら、だれとも連絡を取れず、じっと待つのみでした・・・

幸いダウンとひざ掛けを持っていたのでよかったです。(妊婦に冷えは大敵!)

 

空港内のショップやレストランもすべて閉まっていましたが、

かろうじて、臨時の売店が出ていて、出発することには完売していました。

 

フライトは、19:15発(QR1368)の予定でしたが、2時間程度遅延し、21日ごろに飛び立ちました。

日本大使館の方に、だいたい毎回遅れると聞いていたので、

心配することなく、待つことができました。

 

そして、カタール航空のキャビンアテンダントはフル装備。

なんか映画の中の世界みたいで・・・これはすごい危険な感染者を運ぶ飛行機なのか(笑) という感じでした。

でも確かに、こんな状況で運航してくれるのは、カタール航空だけだったし、

そのために働いている人たちも、毎回飛行機に乗るの怖いだろうな・・・

少しでも安心して働いてもらえるように、万全の対策をしてくれているのは、当然ですよね。

 

飛行機は満席だったけど、エコノミーの一番前の席を確保できたので、とても快適でした。

そうこうしているうちに、約10時間の飛行を終え、29日朝7時ごろ、無事にドーハに到着。

 

実は、ドーハでは、まさかの19時間トランジットでした・・・泣

さすがに、トランジットホテルで休もうと思ったのですが、満室・・・

このヨハネスブルグからの臨時便は、時間がイレギュラーだったので、

ほとんどの人のトランジットの時間が相当長かったようです。

 

お金を払ってラウンジを使用しようとも思ったのですが、

ビジネスクラスにアップグレードしないと入れてくれないとのことで、

うーん・・・仕方ない・・・一般のエリアで過ごすことにしました。

 

でも、このドーハのハマド国際空港は、トランジットが長い人たちの配慮が素晴らしい!

「クワイエットエリア」という、こんな半リクライニングの椅子がそこら中にあったり、

「TVエリア」には、完全に横になれるくらいの長椅子がありました。

幸い、空港利用者自体は少なかったので、

私はこの右側の青い長椅子を陣取り、ほぼずっと寝転んでいました。

 

 

妊婦にこの長時間のトランジットはきついよなぁ・・・と思っていましたが、

完全に横になれる場所があって、本当によかったです。

おかげで、足のむくみも取れ、少し仮眠することができたので、

なんとかこのトランジットも乗り越えられました。

しかも、レソト帰りの身としては、中華っぽいご飯が食べれたのも、ありがたかったです。

(日本から来た人にしてみれば、さほど美味しく感じないものでも、この時の私には、美味しく感じる・・笑)

ちなみに、レストラン以外のショップはすべて閉まっていました。

 

 

次は、ドーハから成田までの道のりです。

つづく。

 

 

人種差別・・・アフリカに住んで、黒人と結婚して思うこと

アフリカ・タンザニアでトータル5年半生活し、夫はレソト人。

レソト生活はまだ短いけれど、レソトはほぼ単一民族でソト民族も黒人。

 

私の人生の中で、とても身近に黒人の人たちがいます。

だからこそ、今私が感じることを、日本の人たちに伝えたいと思いました。

 

アメリカのミネソタ州で黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警官に暴行されて死亡した事件、

多くの人が心を痛めていると思います。

私もその一人ですが、具体的には、今、みなさんはどんな気持ちですか?

「黒人差別なんてひどい!ありえない!」

「同じ人間なのに、なぜそんなことができるの!」

「黒人はかわいそうだな」

「アメリカ、怖いな」

などなど、いろんな意見があると思います。

 

一方で、日本人のように単一民族、単一人種のコミュニティの中で育った人々にとっては、

「人種差別」というのは、教科書で習う程度で、どこか他人事というか、実感がわかない、

という人もいるのではないでしょうか。

 

私も実は、アフリカへ行くまで、人種差別について真剣に考えたことがなかったし、

むしろアフリカで住んでからも、正直「差別」について深刻に考える機会も実はあまりありませんでした。

でも、そんな中でも、私が感じた差別と、私が考える今できることを、紹介したいと思います。

ちょっと長文ですが、ぜひ読んでもらえると嬉しいです。

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1.タンザニアでの差別は?

2.初めて人種差別を実感したとき

3.アメリカでの差別

4.私たちに何ができるのか

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1.タンザニアでの差別は?

アフリカ・タンザニアで住み始めた初めの頃、黒人の人々の中で生活してみて思ったことは、

「本当に髪がクルクルというかチリチリしてるんだ!触り心地がいいな」とか、

「黒人の人の匂いってなんとも土っぽいというか、でも日本人の加齢臭のような嫌な臭いじゃないな」とか、

「黒人の女性のお尻は、どうしてこんなに上向きなんだろう、しかもパンパンで実は筋肉質!!」とか・・・

そういう身体的な特徴を実際に間近で見て、触れて、ちょっと感動したというのが率直な感想でした。

 

そして、言葉が分かるようになるにつれて、彼らの考え方や生き方を学んで、

日本と違うところも多々あるけれど、共感できることもたくさんあって、

ごくごく普通に、彼らと関係を築き、そしていつの間にか、

自分もタンザニア人だと思って生活していた時期もありました、笑

 

一方で、多少なり、アジア人対する偏見や差別もあったと思います。

顔を見るなり、「CHINA(中国人)!」と叫ばれることはしょっちゅうだし、

買い物へ行くと、外国人価格としてぼったくられたり・・・

でも、現地の言葉(スワヒリ語)で話すと、一気に打ち解けて、

むしろ、とても良くしてくれることのほうが多かったのです。

彼らの偏見や差別は、私の心や身体を痛めつけるものでは全くなく、

単に外見から感じる印象で、初めは接していただけで、

それ以降は、お互いただの人間として、友達になれるのです。

 

こんなふうに、私があまり先入観なく、普通に彼らに接することができたのは、

タンザニア人の気質として、とても穏やかで、外国人に対しても寛容だったということが大きいと思います。

 

そして、その気質は、タンザニアの歴史と政策がそうさせているのかもしれません。

タンザニアは、血を流すことなくイギリスから独立し、

約130もの民族がいるといわれていますが、民族間の紛争もほとんどないし、

争わずに共生しよう、という国の政策が、人と違うことに寛容な国と人々を作り上げたのだと想像します。

なので、ある意味、差別感覚がとても薄い国だと、私は思っています。

 

2.初めて人種差別を実感したとき

皮肉にも、それは自分の親でした。

思い切って、レソト人(黒人)の彼がいて、結婚したいことを両親に打ち明けた時でした。

両親はタンザニアにも一度来たことがあったし、その際に

私がお世話になっている人たちに会い、握手し抱き合う姿を何度も見ていたので、

黒人に対する印象は、そこまで悪くないと思っていました。

とはいえ、外国人との結婚で、いよいよ娘が日本に帰って来なくなるということを考えると、

やはり結婚には反対だろう、とは思っていましたが、予想以上のひどい言葉を聞かされました。

 

「白人ならええけど、黒人はあかん」  →意味わからんし・・

「血が混ざるのが嫌や」          →結婚ってそういうもんちゃうん?

「黒い子が生まれてくるやんか」     →だから何?かわいいやん

 

彼自身についての話を聞くことがほとんどなく、「黒人」というだけで反対され、

そして、自分の親が、ここまでレイシスト(人種差別主義)だと思っていなかったので、

とてもショックでしたし、正直かなり軽蔑しました。

これまで私の黒人である友人や恩人などにはとても優しく接してくれていたし、大事にしてくれていると思っていたのに、

結婚となると、こうも態度が違うということは、私には理解しがたいものでした。

 

そして最終的には、結婚するなら縁を切ると言われ、私はそれでいいと思いました。

育ててもらった恩はあるし、感謝もしているけれど、

ここまで自分の大事な人について人種だけを理由に否定されたことによる親への軽蔑心は消えないだろうし、

これを理由に結婚を辞めることはありえませんでした。

 

そこから時を経て、 色々ありましたが、結局は結婚を許してもらうことになりました。

親も何かを乗り越えたらしく、実際に彼が来日したとき、3週間ほど一緒に過ごしました。

今は便利なものがあって、スマホのアプリで自動翻訳してくれるものがあり、

実際に彼と直接話して、彼の人柄と、私が幸せそうな様子を見て、

「結婚を認めてよかった。おめでとう。」 と言ってもらえた時は、とてもうれしかったです。

 

普通は、なかなか差別に関する固定観念を変えることは、難しいと思うのですが、

今回の場合は、成功したようです。

 

このことをきっかけに、差別ってなんだろう、と悶々と考えるようになりました。

特に私にとっては、差別はあまり身近なものではなく、

差別をする人の気持ち、特に攻撃的になる人の気持ちが正直分かりづらい・・・

 

差別は、その人の心の中にある固定観念によるもので、それを本人が自分で変えない限り、

その差別はなくならないのだと思います。

そして、その固定観念は、どのように作られるのか・・・

歴史、環境、その人個人の考え、先入観などなど・・

そして、人は未知のものに対して、警戒心と恐怖を覚えることも、

差別を生み出す根源となっているのかもしれません。

 

新しいものやよく知らない・分からない物・人に出会ったとき、

単純に興味をもって知りたいと思う人と、警戒心と恐怖心を抱く人がいます。

(どちらも共存することも多々あるけど、若い世代は怖いもの知らずなので、前者になりがちかもしれません)

そして、今回、私の親の場合は、おそらく後者で、黒人について何も知らないのに、

特に彼については全く何も知らないのに、暴言を吐くことによって、

自分の常識が壊される恐怖から自分守ろうとしていたのかもしれません。

でも、それをもっと大切なもの(親にとっての娘の私)と天秤にかけたとき、

葛藤の末、やっとその知らないものを受け入れて、知ろうとする一歩を踏み出す勇気を持ち、覚悟を決めてくれました。

そして、知ってみたら、怖いものなど一つもなく、むしろ楽しい時間が待っていた、という話でした。

 

きっと、差別の根源は、こういう警戒心や恐怖心の積み重ねなのかもしれません。

そして、それを変えるには、勇気と覚悟がいるもので、人が強要しても、

なかなかできるものではない、というのが難しいところなんだと思いました。

 

3.アメリカでの差別

ここまでは、タンザニアと日本、どちらもほぼ単一人種のコミュニティの中での差別について、書きましたが、

今回のアメリカでの事件は、これらの差別よりももっと恐ろしい、根深い問題のように感じています。

 

アメリカは、タンザニアや日本と違って、多くの人種・移民が入り混じっていて、

もっと複雑かつ実生活の中で身近な人種差別があります。

 

私はアメリカでの生活経験がないので、ここからは、

アメリカの大学を出ている夫の話から感じたことを書きます。

 

夫は、アメリカの大学を卒業し、インターンや契約社員などで、しばらくアメリカで働いていた時期がありました。

その間、やはり黒人だというだけで、場所によっては白い目で見られたり、

仕事で採用してもらえなかったり、様々な差別を経験したそうです。

 

また、アメリカでは、黒人の血が一滴でも入っていれば、「黒人」と見なされるのだそうです。

つまり、白人と黒人の子どもは、黒人。その子が白人と結婚しても、そのまた子どもも黒人。

あの、イギリス王室を離脱したヘンリー王子とメーガン妃の結婚のときも、

メーガン妃が黒人であると、騒がれていましたよね。

私から見ると、彼女の顔立ちや肌の色は、アフリカにいる人たちとは程遠く、黒人という感じがしません。

それでも、アメリカやイギリスは、彼女を「黒人」と見なすのです。

 

これは、タンザニアや日本で感じた差別とは、また種類の違う、

要は、見た目だけでなく、人種の「血」が、その人の価値を決めてしまう、

恐ろしい感覚だと思いました。

 

また、ちょっと不思議だったとは、夫がアメリカにいるときによく使っていた裏の手があるのですが、

彼は、黒人であることが問題になりそうなとき、流暢な英語ではなく、アフリカ訛りの英語を話していたそうです。

 

実際は、彼は流暢な英語を話すことができるのですが、敢えてアフリカ訛りの英語を話す・・・

そうすることで、アメリカ社会における「階級」をよく知らない外国人のふりをして、ごまかすのだそうです。
 

確かに、私もタンザニアでまずい場面に出くわしたときは、スワヒリ語がわからないふりをして、

「えー知らなかった!ごめんなさい!」と言って逃げることもあったので(汗)

気持ちが分からないことはないのですが、でもそれとはやっぱり何か違う。

 

アメリカ人も、よそ者である事情を知らない外国人をいじめることは、あまりしないのだろうけど、

裏を返せば、アメリカ人であれば、黒人差別という”共通認識”を知っているはずだ、という感覚があるわけで、

それは本当に恐ろしく、恐怖を覚えます。

 

普段の生活、教育、医療、ビジネス、サービスなど、あらゆる場面において、人種が異なるだけで、不利になる。

生まれた時から、そんな風に扱われたら・・・どこにその憤りをぶつければいいんだろう。

まっすぐ素直に生きていくことが、きっと数百倍難しい。

想像しただけでも怖いのだから、実際にその差別の中にいる人たちは、どれだけつらい思いをしただろう。

 

そして、今回殺人という形で、この事件が起きてしまいました。

これに対して、多くの人が抗議し、デモに参加し、そして暴動まで発生してしまいました。

多くの有名人やアーティストなども、抗議のメッセージを出しています。

コロナのせいで過激になっているにしても、やはり根本には、長年の人種差別への不満・憤りがあると思います。

 

4.私たちに何ができるのか

正直言って、私には、大きな発言力もないし、実際にデモに参加することも難しいです。

でも、興味を持って友好的にその人を「知ろう」とすることはできると思います。

 

アメリカのような長年の蓄積された差別であっても、やっぱりその原因は固定観念や先入観で、

そしてそれを生み出す根源は、知らないことによる恐怖心や警戒心だと思うんです。

 

ジョージ・フロイドさんを殺害してしまった警察官も、きっと、

生まれた時から白人はえらい、黒人を蔑んでもいい、と考える人たちの中で育ち、

そして、悲しいことに、その考えを疑うことなく、改める機会のないまま、大人になってしまった。

 

今私たちができることは、まずは自分の中の小さな差別意識を取り払う努力をすることだと思います。

もっと素直にフラットに、どんな見た目の人も、同じ人間で、ちょっとずつみんな違う。

その違いを、もっと興味と思いやりを持って知ろうとする。

別に違っていいし、その違いを認めることができれば、

それだけで、ただの人間同士として、関係を築けると思うんです。

 

長い年月がかかる問題だからこそ、私たち一人ひとりが色々と感じて、考えて、

少しでもいいから、行動を変えることが大事だと思います。

多くの涙を流し苦しみ、そうやって何かを変えてきた人たちがいるからこそ、

差別意識も変わってきているのではないでしょうか。

 

少なくとも、私の親の世代と私たちの世代では、すでに差別についての意識が全然違いました。

この世代の間で、教育が変わり、社会が変わり、着実に考えが変わってきています。

そして、私たちの次の世代、そのまた次の世代には、

もっと差別がなくて、生きやすい世の中を残していきたいですよね。

 

コロナのせいで、すぐに海外には行きづらくなってしまったけど、

幸いにもインターネットなどを通して、様々なメディアで情報収集もできるし、友達だってできます。

 

外国人と接することが難しくても、日本国内でもまだまだ多くの差別があると思います。

男女差別、LGBTの差別などは、今でも日本社会の大きな課題ですが、

クラスの変わった子に意味なく意地悪してみたり、ということも、身近な偏見・差別かもしれません。

人と違うだけで、無視したり、嫌いになったり・・・

こういう身近な差別についても、今、ここで向き合って、

もう少しだけその人を、その人の考えを知ろうとして、それを許容する。

こんな一歩が、将来の差別のない世の中につながると私は思います。
ちょっときれいごとに聞こえるかもしれないけれど、でも私は本気でそう思っています。

 

そして、そうやって違いを知ることによって、価値観が広がることもあって、

そうすると、実は人生がもっと面白くなるというメリットもあります。

実際、私はタンザニアの人たちの生き方や考え方に触れて、人生を楽しむ余裕ができました。


将来、子どもたちが、

「差別する人の気持ちなんてよく分かんないよね。みんな違うのなんて当たり前なんだし。」

と、さらっと言いのけてしまうような、そんな時代が来ればいいな、と心底思います。

ジョージ・フロイドさんの死が、無駄にならないように。

近い未来が、穏やかで、幸せな世の中になりますように・・・

 

長文になりましたが、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

無事に帰国しました①  【5月27日】レソト→南アフリカ

Khotsong!

 

先日5月30日に無事に日本に帰国しました。

帰国してから14日間は自主隔離となるため、

現在も、食料の調達以外は、ホテルの室内で過ごしています。 (6/13日まで自主隔離)

さすがに、手足がむくんだりして、結構きつくなってきましたが、あと1週間なのでがんばります。

 

さて、5月27日にレソトのマセルを出発してからの長旅・・・

今もまだその長旅の途中とも言えますが、これから帰国される方への情報共有、

また自分の備忘録もかねて、紹介したいと思います。

 

 

【5月27日】 レソト→南アフリカ

みなさん、陸路での国境越えってイメージわきますか?

私は、初めて国境を陸路で越えたとき、

飛行機乗ってないのに、ここからもう違う国なのか!!

と、ちょっと感動したことを覚えています。

 

簡単に説明すると、

国境には2つの出入国管理局(イミグレーションオフィス、通称イミグレ)があります。

今回の場合は、レソト側のイミグレで出国手続きをして、それが終わったら、

今度は南アフリカ側へテクテクと歩いていき、南アフリカ側のイミグレで入国手続きをします。

厳密には、このイミグレの中間が、ちょうど国境にあたります。

今回の国境、マセルブリッジでは、川が国境になっているので、橋を渡ると南アフリカです。

 

通常は、特に問題なく、国境を行き来できるのですが、

現在(2020年6月7日)も、レソトは未だロックダウン中で、医療や食料などの認められた分野のサービスしか、

国境を行き来することはできません。

 

でも、今回私の場合は、日本大使館からの後ろ盾もあり、

レソトの出国許可と南アフリカの入国を事前に承認してもらっていたので、

パスポートを見せるとスムースに出国することができました。

 

また、さらに夫の名前も提出していたので、夫が南アフリカ側まで、

私の見送りに来ることも許してくれました。やっぱりレソトの人は優しい・・・

 

国境は、歩いて渡ると10分くらいの距離なので、

さすがに妊婦が15㎏ほどのスーツケースを引っ張っていくのは、

なかなか心配だったので、夫が一緒に来られてよかった・・・

 

▼私の荷物を持って、国境を渡る夫・・・全部持たせてごめんよ・・・

ちなみに、今は冬でめちゃくちゃ寒いです。この日の朝はなんと2℃でした・・

 

さて、いざ南アフリカ側へ。

レソト側ではあっさり出国できたのですが、南アフリカ側のイミグレは長蛇の列。

30分、1時間と待ったけれど、いっこうに動きません。

やっと私の番が回ってきて、南アフリカ政府からの承認書類を見せたのですが、

なにやら怪訝な様子・・・

南アフリカのイミグレ担当者はなんだか不愛想で、

「どこへ何しに行くんだ」「なぜレソトにいるんだ」と聞かれたので、

レソトで結婚して、レソト在住だけれど、現在妊娠中で日本で出産したいんだ、と素直に答えました。

なのに、なぜか「Too much information」などと言われ、そんなことまで言わなくていいと・・・

あなたが聞いてきたんでしょうが・・・

アフリカでは余計な雑談をすることがあっても、余計なことを言うなと言われたのは初めてだったので、

ちょっと面喰いました(笑)

 

けど、「この人が夫です」と紹介すると、イミグレの人の態度が一変、すごく優しくなりました。

こちらの人は、アフリカ人(いわゆる見た目が黒人)の夫がいるというと、すごく親近感を覚えるようで、

とてもフレンドリーになりますが、この人も例にもれず、とても優しくなりました(笑)

 

ということで、無事に、南アフリカへの入国も完了し、

プレトリアからわざわざ私を迎えに来てくれた日本大使館の方と合流できました。

 

そこから、休憩も含め約6時間かけて、プレトリアへ移動します。

大使館の車は、とてもいい車で、乗り心地もよく、妊娠してから初めての長旅でしたが、とても快適でした。

大使館の人たちは、朝5時半にプレトリアを出発し、わざわざ私を迎えに国境まで来てくださり、

本当に感謝しかありません。

おまけに、担当の方の奥様が、私が妊婦だということを気遣ってくださったようで、

長旅に持っていく、お菓子セットをプレゼントしてくださいました。

なんという、お心遣い・・・

皆さんのおかげで、無事、プレトリアに到着。

 

また、プレトリアでの滞在も、現在、このコロナの関係で、

どこでも滞在できる状況ではないため、コロナ対策がなされているホテルを

大使館の方が予約までしてくださり、そこに滞在することになりました。

久々のちょっといいホテルで、少しうれしかったですが、なんだか緊張してこの日は眠れませんでした(笑)

▼プレトリアのホテル  The Capital Menlyn Maine

 

 

つづく。

コロナ in レソト そして日本へ・・・

Lumelang…

 

気づけば、あっという間に2か月もあいてしまいました。

コロナの影響で、レソトも3月末からロックダウンが始まりました。

不幸中の幸いなのか、まだレソトにコロナが入ってくる前に、

お隣の南アフリカがロックダウンしたため、おのずとレソトもロックダウンとなり、

コロナがレソトに入らないまま、感染者ゼロのまま、約1か月半が過ぎました。

 

しかし、今月(5月)初めにこのロックダウンが緩和され、

外国在住のレソト人たちが、数百人とレソトに帰国し、そのうち、コロナ陽性者が2名出てしまいました。

世界的に見れば、まだこれだけコロナ陽性者が少ない国もまだ珍しいと思うけれど、

国が小さい上に南アに頼り切りの医療事情を考えると、たとえ2人でも出てしまったことは、

レソトの人々にとって、やはり不安な出来事です。

 

現時点では、レソトは自国での検査をしておらず、

(中国のセレブから大量の検査キットの寄付があったはずですが、

これは国の要人に配布してしまい、無くなってしまったという噂・・・)

毎回、南アフリカへ検体を送り、2週間くらい経ってようやく結果が分かるという状況。

その間、帰国者の自主隔離がきちんとなされているかは、ちょっと謎で、

結果待ちの間に拡がってしまうのではないかと、ちょっとドキドキしています。

 

とはいえ、日常は、いたって平和そのもの。

マスクの着用は義務付けられていますが、それさえ守れば、

自由に街中を歩き回れるし、買い物もできます。

レストランも、テイクアウトのみ許可されたため、

外食ができないストレスも、少し緩和されました。

 

そして・・・

私事ですが、このタイミングで初めての妊娠・・・

つわりとロックダウンが同時にやってきて、死ぬように生活しておりました。

5月に入り、ようやく、ロックダウンも緩和され、私も安定期に入ったのですが、

まだまだ、コロナも予断を許さぬ状況の上、私は高齢出産となりリスクも高いため、

やはり日本で出産しようと決めました。

 

このタイミングでの帰国は、賛否両論あるとは思うのですが、

でもやっぱり私には赤ちゃんの命が一番大事。それを優先させて決断しました。

帰国後は、きちんと14日間の自主隔離も守り、日本の人たちに迷惑をかけないよう、

そして私も無事赤ちゃんを守り、日本に戻れるよう精一杯努力したいと思います。

 

とはいえ、レソトは南アフリカに囲まれているので、日本に帰るには、

必ず南アフリカを通らなければなりません。

しかし、南アフリカは、現在も引き続きロックダウン中。

通常は出入国ができない状態の上、国際便の運航も、基本的には停止中です。

ここで、本当に頼りになったのが、在南ア日本大使館。

隣国のレソトやエスワティーニ(旧スワジランド)も兼轄してくれています。

 

ロックダウン中での帰国のため、日本へのチャーター便や

例外的に認められたカタール航空の臨時便情報を、随時教えて下さったり

(おかげで、早めに予約できたので、安くカタール便を予約できました)

南アフリカとレソトの両国に、私の出入国許可の取得をテキパキと対応してくださいました。

さらには、レソトから南アフリカへの交通手段がない中、

片道6時間かけて、プレトリアからレソトの国境まで、なんとお迎えに来てくれるという・・・

担当してくださっている方が特に親切というのもあるかもしれないですが

日本人というだけで、ここまでよくしてくださるのかと、

日本人であることを本当にありがたく思いました。

 

これで、なんとか帰国のための手続きや手配が一通り完了し、

無事にカタール便が予定通り運航してくれれば、なんとか日本まで辿り着けそうです。

 

しかしながら、実はこの旅路は、妊婦にはかなり過酷な旅にはなりそうで

一つ一つなんとか乗り越えていかねばなりません・・・

私のように帰国難民となってしまっている日本人の方のためにも、

できるだけ、この旅の情報を書いていきたいと思います。

 

つづく

レソト&日本 国際結婚 手続き編(最終回)

Lumelang!

前回からかなり時間が空いてしまいました。。

レソトに来て1か月半が経ち、ちょっと疲労がたまっています。汗

 

さて、結婚手続きも、そろそろ大詰め・・

とにかく、長かったですが、今日でなんとか書き終えたいと思います。

 

無事、10月25日に婚姻が承認され、ほっとしたのも束の間。

そうだ、日本側でも手続きしなくては。

 

私は、レソトから一旦日本へ一時帰国を予定していたので、

地元の市役所で手続きを予定していました。

そのため、市役所の方に必要書類を確認しました。

 

【日本側 必要書類】 

********************************************

①レソト王国での婚姻証明書(原本)

②上記の和訳(翻訳者の住所、氏名の記載、押印等が必要です)

③レソト人の旦那様のパスポート(原本をお持ちください。こちらでコピーをして原本はお返しします)

④上記の和訳(翻訳者の住所、氏名の記載、押印等が必要です)

注意点としましては、レソト王国で発行された婚姻証明書は発行日から3ヶ月以内のものをご提出願います。

********************************************

 

なるほどー簡単そうだな、と最初は思ったのですが、

ちょっと待って、婚姻証明の原本??原本は無理だわ。

レソトの婚姻証明は、日本でいう免許証やパスポートのように、

原本は一枚しかなく、原本を提出してしまうことはできません。

日本のように戸籍謄本を何枚も取得できるものではないのです・・・

 

ま、いいや、そういう国も多いだろうから、もう一度市役所に事情を説明してみたのですが、

市役所からの回答:

********************************************

レソト王国で発行いただいた婚姻証明書の原本ですが、

原則、原本還付の求めがあっても応じることができないとされています。

外国で成立した婚姻の証明書を提出いただくのは、

公文書である戸籍の記載内容の正確性を担保するためであり、

その婚姻証明書の提出をもって届出に代えるものとされるため、

市役所へ提出された婚姻証明書はお返しできません。

他の手続き等で婚姻証明書が必要になる場合は

お手数をお掛けしますが、再発行の手続きを行っていただけますでしょうか。

********************************************

 

ん・・・頑なに返却できないの一点張り・・・

さらに、再発行手続きをしろですと?なんだか、ひどい気がする。

しかも、そんな簡単にできるわけないやん・・・

ということで、今度は彼にお願いして、レソトの内務省へ再発行手続きの確認をしたところ、

レソト内務省:

「原則再発行はできないけど、紛失や盗難の場合は、再発行できる。

ただしその場合は、ポリスレポート(盗難・紛失の警察証明)を提出が必要になるよ。

あるいは、外務省に相談してみたら?外国人用に何か発行してくれるかも。」

 

案の定、再発行は大変そう。しかも、紛失じゃないのに、ポリスレポートなんてもらえないよな・・・

 

そして彼はまたもやレソトの外務省へ。

レソト外務省:「そっか、それは困ったね。。うちでできるとしたら、アポスティーユくらいかな。」

 

なんと!その手があったか!

アポスティーユというのは、詳しくは、ググっていただければと思いますが、

簡単に言うと、ハーグ条約加盟国間での書類のやりとりで、

アポスティーユ承認を受けた書類は、本物かどうかの確認が不要となり、

そのまま受理できるという取り決めがあります。

 

そして、幸運にも、日本もレソトもハーグ条約加盟国になっていたので、

今回のこの婚姻証明書について、この内容は本物です、という旨のアポスティーユを発行し、

そのアポスティーユ原本を日本に提出すれば、受理してもらえるはずだ、ということなのです。

 

ということで、この内容を市役所へ確認しました。

市役所:

「紛失、事故の場合のみ再発行ができるのですね…

外国人の方との婚姻の事例もたくさんあるものではないので

すぐにご返答などできなくて申し訳ないです。

さらにレソト王国の方との婚姻されるのもおそらく初めてのケースかと

思われるので、ご提示いただいた案も参考にし、

一度法務局へ確認を行い、またこちらからご連絡させていただきます。」

 

やはり日本の(特に私の田舎の)市役所では国際結婚の手続きを熟知している人が少ないようで、

なかなか時間がかかります。。これは、失敗したなぁ、と思いました。

 

海外在住の方で国際結婚される場合は、日本の市区町村ではなく、在外公館で手続きすることをオススメします。

現地の大使館などのほうが、現地の事情に精通していますし、

別のご夫婦から聞いた情報によると、国ではなく教会が発行した婚姻証明書で問題なく受理してくれたそうです。

 

とはいえ、私の場合は、レソトに日本大使館がなく、わざわざ南アフリカまで行くのが大変だったので、

自分が行く場所で何とか手続きしたいと思い、実家の市役所で手続きしたので、まぁ、仕方ないですね。

 

さて、しばらくして市役所から返答があり、アポスティーユ原本の提出をすれば、

婚姻証明書の原本は返却してもらえることになりました。

 

このとき、すでに11月末。彼が来日するためレソトを発つのが12月13日だったので、

あと2週間でアポスティーユの書類が手に入るか・・

 

さっそく、再度外務省へ行き、書類の発行をお願いしたところ、

ほんの数日で、準備ができたから、すぐに取りにおいでとのこと。

こんなにすぐにできるなんて・・きっと何かある・・・

 

そして彼は意気揚々と、その書類の写真を送ってくれたので、

確認したところ、その日付が、10月21日になっていました。

でも、私たちの婚姻証明書に記載されている婚姻日は10月25日。

なぜ・・・どうしてこうなる・・・(泣)

 

やっぱり一筋縄にはうまくいかないのもので、

再度彼に、外務省に行き、訂正を依頼します。

 

数日後、また連絡があり、行ってみると、

なぜかアポスティーユの書類を2枚作ったそうで、

1枚目は私と彼のフルネーム入り、2枚目は彼のフルネームのみで私の名前がないものだそうで

まぁとにかく、それが手に入ったならよかった。

とおもったのも束の間、2枚目の書類が、全然違う人の名前になっている。

誰か他の人に間違えて渡してしまったのだそう。

もうーどうにでもなれ―

 

とりあえず1枚目だけでも、確保して持って帰ってきて!!と彼にお願いしたところ、

外務省に置いてきてしまったとのこと。

外務省が、間違えて持っていった人に返却を求めているので、

それを待つようにと言われたそうな。

 

そんな余裕ないんですけど!!

彼の出発ぎりぎりまで待ったけど、結局その2枚目は行方知れずのままでした。

でも、無理くり1枚目を手に入れ、とりあえず、それを彼に日本に持ってきてもらったところ、

それで、無事に、12月に日本での手続きも完了しました。

長かった・・・・最後までドキドキで、心休まりませんでした。

 

しかし、7月から約5か月ほどの手続きを経て、ようやく両方の国で夫婦となりました。

 

長々と書きましたが、何が言いたかったかというと、

国際結婚はこれほどまでに、根気がいるということ・・・

でも、この手続きで愛と絆が育まれはずなので、

国際結婚を控えている皆さん、ファイトです!

 

また、婚姻手続きが終わっても、現在はまだ、在留許可申請中です。

こちらは書類が盛りだくさんなだけで、それほど大変ではないのですが、

どうか早く許可が出ますように・・・

 

レソト&日本 国際結婚 手続き編⑤

こんにちは。

コロナウイルスの影響が、本当に心配です・・・

うがい・手洗いを徹底して、睡眠をしっかりとって、栄養のあるものを食べて、

できるだけ、免疫力を上げて、どうか元気に過ごしてくださいね。

 

こちらは、最近晴れの日が少なく、曇りか雨が続いているせいか、寒い日が続いています。

日中でも、20度行きません。

こちらも風邪をひかないように頑張ります。

 

さて、レソトでの手続きも大詰めです。

10月下旬、無事にレソトに到着し、バリデーションレター原本を外務省に提出、

無事、10月25日に婚姻が承認される!と思いきや、

担当者:「あなたたちの結婚は、10月17日に承認されるわよ」

私たち:「え・・・明日やん!まだドレスも出来上がってないのに、泣」

 

今度は急いで、内務省へ・・・

私たち:「10月25日でお願いしていたはずなんですが・・・」

担当者:「え、早くできるんだから、いいじゃない。何か問題でも?

私たち:「ドレスがまだだし、立会人たちも25日で休みとってるし・・・」

担当者:「じゃ、しょうがないね。25日にしてあげる」(あっさり)

 

なんじゃそら。いいんかい。。

最後まで、ドキドキさせてくれましたが、

なんとか、予定通り、10月25日にレソトでの婚姻が承認されました。晴れて夫婦になりました♪

レソトの民族衣装、Seshoeshoeのドレスを着てパチリ。

また、当日の様子は、別途アップします。

 

残るは、日本側の手続き・・・

さて、こちらは、日本が相手だし、きっと大丈夫よね・・・?

軽く見ていましたが、こちらもちょいとやっかいなことが・・・

 

つづく。

レソト&日本 国際結婚 手続き編④

Lumelang!

今日は少しお久しぶりの雨です。

午後4時現在、21度。だんだんと寒くなっています。

 

さて、国際結婚の手続き編、前回からの続き・・・

私の独身証明・・・偽造だと疑われているの?というところからです。

 

でも、一旦こうなってしまったら、もう何を主張してもだめで。。

内務省の担当者は、

「この手続きをちゃんとしないで、結婚してから、

この日本人に夫がいたらどうするのよ!これはあなたを守る手続きなのよ。」と。

彼を諭してくるそうで・・・笑 まぁ、そらそうか。

 

さて・・・じゃ、その確認というのは、具体的にどのような手順なのか・・

それを早く進めてもらうように、なんとかできるのだろうか。

彼に、具体的な確認方法内容を確認してきてほしい、とお願い(遠隔指示)を出しました。

彼は、じゃ行ってくる!と足しげく内務省に通います。

 

そして、内務省担当者は、

「これは外国人のことになるから、この案件は外務省に回したよ。そっちで聞いてくれる?」

ああ、たらいまわし、たらいまわし。よくあることです。

 

彼はめげずに外務省に向かいます。

外務省担当者が不在のことも多く、こちらも何度も通います。

やっと会うことができて、話を聞くと、

「この独身証明は、在日本レソト大使館へ送って、そこから日本の外務省に確認してもらうんだよ」

 

待って・・気が遠くなる・・絶対時間かかるやつやん。。

そもそも、外務省が戸籍情報持ってないないだろうし、

ってことはそこから市町村に問い合わせて、またそれを外務省に戻して、

そこから在日本レソト大使館経由でレソト外務省へ・・・っだー!!!

ダメだ!とてもじゃないけど間に合わない!

 

ということで、また彼にお願い(遠隔指示)

「今すぐ、在日本レソト大使館に連絡して、状況を確認してきて!」

 

すると、次の日、彼はあっさりと、

「在日本レソト大使と話したよ。」と・・・

私:「へ?大使と直接??」

彼:「うん、ちょうど知り合いが知り合いで、Whatsappの番号教えてくれてん。」

私:「まじか、恐るべし、レソトコミュニティ。 で?どうだった?」

彼:「それが在日本レソト大使館、今家賃滞納中で、オフィス使えなくて閉館中なんだって。」

私:「・・・・・」

彼:「今月いっぱい、開館の見込みがないらしい・・」

 

さすがですね。予想を軽く超えてくる・・・

まぁ、これでちょっと逆に私の心もなぜか落ち着き、

レソト側の提示する方法でダメなのであれば、こちらから方法を提案したろー!

と思いました。笑

 

というか、むしろ発行元である、在タンザニア日本大使館に確認してくれたら、

それが一番はやいじゃん!という私のまた勝手な思いつきを彼に伝え、またまた遠隔指示。

「レソトの外務省に、在タンザニア日本大使館へ直接確認とってって伝えて!」

 

もはや、無理くり・・・でも彼はめげずに外務省に出向く。(まじでえらい)

私:「どうだった?」

彼:「レソトの外務省が、まったく関係ない在外公館に直接連絡しちゃいけない決まりなんだって。。」

私:「それで?」

彼:「レソトの外務省⇒在南アフリカ レソト大使館⇒在南アフリカ日本大使館⇒在タンザニア日本大使館の流れで連絡してくれるんだって。」

私:「おお、そうきたか(笑)」

 

レソトには、日本大使館がなく、南アフリカ(南ア)の日本大使館がレソトを兼轄しています。

なるほどー、国同士の付き合いも色々とあるんだろうな。

それをごたごた行っても仕方ないか・・じゃ、それで一旦待ってみよう。

 

約2週間経過・・・在南ア レソト大使館からの音沙汰なく・・

こらだめだ。。遂にもう9月下旬・・届出の最終時期に来ている。。

 

では、最終手段!ということで、またもや彼への指示・・

「レソト外務省から在タンザニア日本大使館に直接連絡とれないなら、

在タンザニア日本大使館から直接レソト外務省に連絡してもらうようにするわ! 

レソト外務省の担当者の連絡先を教えて」

 

ということで、最終的に私が在タンザニア日本大使館の担当者にお願いして、

レソト外務省担当者宛に、発行した独身証明・出生証明が本物だという旨のメールをしてもらいました。

(日本大使館の方々、本当に心優しい・・・)

 

そこから一週間、またもや動きなし。

彼から再度レソト外務省担当者へ、確認。

彼:「先日、タンザニアの日本大使館からメールが行ったと思うのですが・・・」

レソト外務省:「え?返信したけど。」

彼:「え・・返事来てないみたいだけど、そのメール、僕に転送してくれる?」(ファインプレー)

レソト外務省:「いいよー」

 

彼の頑張りもあり、やっとこさ、レソト外務省担当者からの返信メールを確認したところ、

案の定メールアドレスを間違えていた・・そら届かないはずだわ。

でも、そこには、

「本物だと旨を書いたバリデーションレター(日本大使館の署名捺印済み)を書いてくれれば、それで受理します」

と書いてあった!!!

 

やったー!!!(泣)

ついに・・糸口が・・

 

あわてて、在タンザニア日本大使館へお願いする。

私:「そんなことって可能ですか?」

日本大使館:「いいですよー」(快諾!!さすが安心・信頼のジャパニーズ!)

 

さっそく日本大使館から、そのバリデーションレターをレソト外務省へメールで送っていただきました。

その原本は、私がレソトへ行くときに持参し、

10月25日の婚姻承認日までに原本を提出すれば、OKということで、

遂に、婚姻手続き書類一式、無事受領されました!!!!!パチパチパチ

 

でも、冷静に考えたら、普通書類の発行元が、バリデーションレターを出しても意味ないんじゃ・・・

という考えがよぎりましたが、それが正しいかどうかではなく、

手続きが進むかどうかが、一番大事!

 

とにもかくにも、無事、9月末に私の独身証明が受理され、

10月25日の婚姻承認会に間に合うことになりました。

 

今回は、あれこれとこちらから提案しながら、

彼が粘り強く、そして、機転をきかせて、交渉してくれたのが勝因でした!

やはり、待っていたのでは何事も始まりませんね。

でも、まだもう一つ別の小さな波がやってきます。

 

つづく・・・

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