賀茂別雷神社・山城国一宮・二十二社(京都市北区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

ふと思ったこと。

鳥居をくぐるときに一礼されてると思いますが、それっていつから誰か言い出して一般化したんでしょうね。

それが作法だということになってますが、子供の頃とかそんなことやってる人いなかったし、やってる人はがっつりお百度参りとかしてる人ぐらいでしたよ。

二礼二拍手一礼や手水の使い方にしても近年、神社庁によって決められた作法ですが、それはちゃんと決められたこととして案内ありますからいいんですよ。

でも鳥居の一礼は意味わからんのです。

鳥居で一礼することがあかんわけではなく、杓子定規に鳥居だからといって一礼するような風習がおかしいと思うのです。

おそらく無知なスピの輩や、自称霊能力者あたりが広めたものでしょうけど、なぜそこで一礼するのかの真意をわかっていないのでしょうね。

人の家にお邪魔する時にお辞儀するような心構えとしてはいいのですけど、そういうのって強要されるものではないしね。

しかしながら、一礼するならするで、どこでするかが問題で、街中にあるようなスタンダードな神社の場合は、鳥居でいいと思いますが、大きな神社の場合、鳥居ごとに一礼するのはやはりおかしいわけで。

車で鳥居くぐることもありますし。

僕は、社殿に一番近い鳥居か神門での一礼で充分だと思います。

人様の家にお邪魔する時に、門やマンションの入口でお辞儀しないでしょ?


さて、京都の寺社巡りに入りますが、訪問しなおしてますので、二日ぶんを一記事としました。

鳥居ですけど、天気が悪いとはいえ、スマホカメラ任せで雑に撮ってますので暗いのなんの。
ご容赦ください。

次の鳥居

ここからもしばらく歩きまして、さらに鳥居。
一礼するならここでしょう。

拝殿

立砂

手水舎

岩上
岩上(がんじょう)は、葵祭の時に、宮司が勅使と対面し、御祭文に対して神の意志を橋殿の勅使に伝える返祝詞を奏上する場所で、御祭神が降臨した神山とともに賀茂信仰の原点であるといい、古代祭祀の形を今に伝えているものです。

楼門

中門

今回すべて回らずに要所だけにしておきまして、寄りたいとこだけ寄りました。

岩本神社
小川を背にして岩の上に建つという素晴らしい立地です。

社殿も古くてなお良し。
これだけでなく、賀茂別雷神社の建築物は重文だらけなので、どれも重厚な雰囲気があります。

瀬に石ありますけど、近くまで下りていくのもね。

賀茂山口神社

これって、建て替えの時の仮遷座地か新遷座地だと思います。

他の境内社は前回回りまくりましたので、今回は願い石さえ写真収めれたらなって気持ちできました。


なんか違うんやけど、たぶんこれのはずだと思い、再確認を怠りました。

これはこれで陰石っぽかったので安心してしまったのですよ。
この石に関しては情報なかったのですが、願い石ではなかったです。

神仏霊場の御朱印
これにて、残りは大阪4兵庫2滋賀6京都15になりました。

あ、別の日に改めて来た時のことがまだ続きますよ。

後日、全国一宮を始めたこともあり、再訪しました。

当然、願い石の再確認が主な目的です。

やはり、場所が違ってまして、渉渓園にありました。
渉渓園は、古く龍の住む池があったと言われ、池の底より出土した陰陽石は陰と陽が極まり融合した姿を現しているとのこと。
願い石とは陰陽石のことなんです。

古いスタジイの木のそばにあります。


見た目は陰石なのですが、陰陽融合ということなので、結合部とかあるのかと観察します。

パッと見はやはり陰石なのですが、融合ということなら、この部分しかそれらしきものは見当たりませんでした。

他にも『らしい』石ありましたよ。

山城国一宮の御朱印

じっくり回った時の記事をリンクしときます。