伏見稲荷お山巡り(京都市伏見区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

四ツ辻からお山巡りの場合、御膳谷奉拝所経由の時計回りを歩かれる方のほうが多いように思いますが、今回は一周しないこともあり、楽な反時計回りで巡ります。
 
ゆるやかに上っていきます。 

 
すぐに三ノ峰の下ノ社です。
 
白菊大神を祀ります。
宇迦之御魂が祀られているとも言われていますが、なぜに三ノ峰かという疑問が残ります。
 
お塚は神蹟のものなので、後世に建てられたと判断します。
 
観光客も多いですが、皆さんお塚まで見ないようです。
稲荷山は社殿よりも、お塚が重要だと思うのですがね。
 
ただ、御存知のように塚だらけですのでいちいち全部見ることもないのかな。
 
次、間ノ峰の荷田社 
荷田氏といえば、稲荷山の祭祀の一族です。
 
下の東丸神社には荷田春満という人物が祀られています。
 
伏見稲荷といえば皆口を揃えて秦氏の名を出しますが、その秦氏が祭祀に関わる以前、すなわち伏見稲荷が出来ていない頃から稲荷山祭祀をしていたのが荷田一族であろうと思われます。
 
おそらくですが、荷田氏と婚姻関係になった秦氏も同様に祭祀に関わるようになり、そのうち秦氏の力が増して、主流になってしまったのではないかと考えます。
 
伏見稲荷は稲荷神、稲荷山は宇迦之御魂を祀るという推論から、ひさしぶりに軽めの尼津彦ワールド展開します。
 
そもそも宇迦之御魂ってなんぞや?ってとこ。
 
常々僕は、現在祀られてる神には大きく二種類あって、実在した人物とそうではないものに分けられると言っていますが、実在人物ではない神にも自然神であったり、空想の人物や動物であったり、様々です。
 
宇迦之御魂といえば作物の神とされてますが、これは象徴のようなものだと思います。
 
荷田氏は元々は保食神の一族であったと考えてますので、一族の農業に関する知識やノウハウ、そして心得のようなものが宇迦之御魂であったのではないかと思うのです。
 
その荷田氏や、祖先の保食神も祀られるようになり、大歳神とかさまざまな人物や自然神が習合したものが稲荷神であると思います。
 
東寺の縁起にある、弘法大師が稲荷山で出会った竜頭太という翁も保食神、すなわち荷田一族であったと考えられます。
 
ちなみに弘法大師空海の母親は荷田氏の出であったとも言われています。
 
そんなわけで、稲荷山で確認したかったのが、この荷田社は何を祀っているのかということ。
 
社背後のお塚にはやはり神蹟であることが刻まれていました。
ここもこれと言って情報ないかと思ってたら、さらに背後にもお塚ありました。
 
伊勢大神とな。
これ尼津彦的にはかなりのニヤリポイントですよ。
 
荷田社ですから、御祭神は荷田一族であったり、保食神、または当然のことながら宇迦之御魂だと思ってたんですよ。
 
それが伊勢大神。
 
伊勢大神とは、伊勢以外から見た天照大神の呼び名とされています。
 
荷田社の御祭神は天照大神ということになりますと、これは面白い。
 
宇迦之御魂とは、天照大神の教えとも取ることが出来てしまいそうです。
 
まぁ、これから何度も足を運ぶであろう稲荷山ですから、結論は急がず新たな発見を楽しみにとっておくことにします。
 
天照大神のお塚を背後から見ると、鉢巻きした牛に見えます。
 
続いて二ノ峰
 
中之社です。
こちらは青木大神を祀ります。
 
が、ここもお塚は神蹟
 
背後から。
 
ここのさらに背後も期待したのですが、特にこれと言ってニヤリポイントは見つけられず。
 
さらに進みます。
 
一ノ峰
 
末廣大神を祀るという上之社です。
 
やはりここが一番人が多かったです。
僕が初めてお山を巡った時は、数人しか人と会わなかったものですが、最近は外国人観光客もコースになっているみたいですね。
末廣大神とは、大宮能売のことと言われていますが、そんな単純なものかと懐疑的です。
 
青木大神=佐田彦大神と見ての猿田彦、そこからの大宮能売を天鈿女と比定したのでしょうけど、そんな単純なものかという疑問がありますし、もしかしたらもっと単純なことなのかも知れない。
 
背後に回れるとこはもちろん回り込みます。
 
さらに末廣大神のお塚もありました。
 
一個一個見ている時間はありませんので、さらっと見て次に向かいます。
 
これで稲荷山の神蹟五か所回りました。
 
六か所目へ続きます。