相撲神社の後は近くというか、本務社にあたるであろう大兵主神社に参拝しました。
何度か山の辺の道は歩きましたが、いつも檜原神社までしか行っておらず、今回は初参拝です。
元は穴師坐兵主神社(明神大社)、巻向坐若御魂神社(式内大社)、穴師大兵主神社(式内小社)の三社があったと言われ、室町時代に合祀されたそうです。
御祭神はその三社の面々
手水舎
祓社
その隣の名無しの社
天王社
素盞嗚というか牛頭天王でしょうか。
その対面にあたる場所の石段上にも社がありました。
こちらの社の名称はわからなかったのですが、天王社と対のように思えます。
拝殿
狛犬
本殿
本殿の三柱は、兵主神、大兵主神、若御魂神と言われていて、それぞれ御食津神、大己貴、櫛稲田姫のことというのが一般的な説のようです。
そう言われているんやからそれでええやんって思えばいいのでしょうけど、毎度のことながら疑問に思ってしまうので、尼津彦ワールドです。
まず兵主神ですが、現在は「ひょうず」と読みますが、これは当然のことながら漢字伝来以降の仏教の影響を受けた読み方です。
元々この「兵主」という漢字があてられた言葉は、やまとことばで「つわものぬし」であったと思われます。
では「つわものぬし」とは何者か。
それは、天児屋根の父であり、天照大神政権で住吉神と双璧を為す重鎮で、別名というか官職名のようなものが興台産霊です。
兵主というのも役職の名でしょうけど、本名はおそらく「市千魂」。
兵主を「つわものぬし」=興台産霊とした場合、大兵主はその父にあたるのではないでしょうか。
兵主の父親は不明ですが、祖父であるといわれている津速産霊が相当するかも知れません。
そして「若御魂」が天児屋根を指すことになります。
また、大兵主を興台産霊とした場合、兵主が天児屋根、若御魂が天忍雲根という構成もありえます。
こちらのほうが、若御魂=若宮と置き換えて春日大社に通ずるものも見いだせそうです。
なんにせよ、あまり語られることのない兵主神ですから、この先研究もされないままでしょう。
本殿横の出雲大神を祀る社
拝殿や社務所に「御朱印ご入用の方は宮司宅まで」みたいな案内がありましたが、この日は御朱印帳持ってきてないので戴きに上がってません。
道間違えなかったら、御朱印戴けるとこ寄るつもりのなかった行程でしたからね。
巻向駅までの道のりでこの後もう一社と1スポット寄りましたので、また明日。