赤留比売命神社(大阪市平野区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

親子揃って雨男の尼津彦父子です。

皆様おはようございます。

息子の先月の遠足は雨で中止になりまして本日改めて遠足ですがどうなることやら。


妙願寺の近く平野公園に接して鎮座するのは赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ)です。
現在は同じ平野区の杭全神社の境外末社ですが、元々は住吉大社の末社だったようです。


金刀比羅社

住吉社

拝殿

本殿

本殿逆方向から
御祭神は赤留比売命(阿加流比売)です。

いつもなら尼津彦ワールドに入るような神様なのですが、今回は普通に神話の記述を紹介したいと思います。

なぜならこの神さんの話はちょっと異様なので、そのまんまのほうが面白いように思いまして。


古事記と日本書紀では違う話なのですが、非常に似通っているため、同じことを名を変えて書いているのではないかと言われます。

まず古事記では、昔、新羅の沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たり、女はたちまち娠んで赤い玉を産んだ。

その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。

ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、天之日矛(あめのひぼこ)と出会った。

天之日矛は、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。

男が釈明をしても天之日矛は許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出してようやく許してもらえた。

天之日矛がその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。

天之日矛は娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。

しかし、ある日奢り高ぶった天之日矛が妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津に逃げてきた。

その娘は、難波の比売碁曾の社に鎮まる阿加流比売神であるという。



日本書紀では、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は自分の牛に荷物を背負わせて田舎へ行ったが、牛が急にいなくなってしまった。

足跡を追って村の中に入ると、その村の役人がその牛を食べてしまったという。

都怒我阿羅斯等は牛の代償として、その村で神として祀られている白い石を譲り受けた。

石を持ち帰って寝床に置くと、石は美しい娘になった。

都怒我阿羅斯等が喜んで娘と性交しようとしたが、目を離したすきに娘はいなくなってしまった。

都怒我阿羅斯等の妻によれば、娘は東の方へ行ったという。

娘は難波に至って比売語曾社の神となり、また、豊国の国前郡へ至って比売語曾社の神となり、二箇所で祀られているという

登場人物のうち、天之日矛と都怒我阿羅斯等の経歴は非常に似通っていて、どちらも外国の王子であったようです。

そのため天之日矛と都怒我阿羅斯等を同一人物とする考え方が多く存在します。


また、都怒我阿羅斯等とは「つのがあるひと」の意味で、天之日矛には額に角があったという伝説も存在するようです。


今回のこの話については尼津彦ワールド展開しませんので、あくまでも客観的な記述の紹介とさせていただきます。


天満宮


稲荷社